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 2018年8月:台南
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【8月17日(金)晴れ時々曇り】赤嵌樓

ガイドブックを見ると劉家粽子からそれほど遠くない距離に赤嵌樓がある。

西門円環で民族路に入り東に150メートルほど進むと、左手に見えてくるのが赤い瓦屋根の赤崁楼、入園料50元(180円)。

入園券は50元。

赤崁楼は1652年に起きたオランダ人と漢人の衝突事件「郭懷一事件」の後、1653年にオランダ人によって築かれた城跡で、元の名はProvintia(プロヴィンティア/普羅民遮城)、紅毛楼と呼ばれることもある。

赤嵌樓。

鄭成功が1662年に台湾を占拠すると、プロヴィンティアは東都承天府と改められ、台湾全島の最高行政機関になった。 現在は国定古跡に指定されている。

    • 鄭成功(1624 - 1662)
      中国明代の軍人で政治家。福建省泉州市出身。清に滅ぼされようとしている明を擁護して抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭一族政権の祖となった。
      オランダ軍を討ち払ったことから孫文、蒋介石と並び「三人の国神」として尊敬されている。
      父鄭芝竜と日本人の母・田川松との間に生まれ、7歳まで平戸で過ごした生い立ちを持っている。
      近松門左衛門が書いた「国性爺合戦」は、鄭成功の事蹟を題材にした浄瑠璃。

庭園の隅に1661年に鄭成功がこの城を陥落させたことを記念する「鄭成功和議の像」がある。大きな台座の上に鄭成功と頭を垂れるオランダ兵の像が乗っている。

鄭成功和義の像。

現在の赤嵌楼は海神廟、文昌閣、蓬壺書院から成っている。

1875年、 牡丹社事件を受けて台湾を防衛するために沈葆楨が海神の庇護に感謝するためにプロヴィンティア城南西の稜堡上に建てたのがこの海神廟。

海神廟。
    • 牡丹社事件
      1871年、那覇から宮古島へ戻る貢納船が途中で台湾南東部に漂着。上陸後に迷い込んだ牡丹郷で、54人の琉球人がパイワン族に殺害された。この悲劇を利用して3年後の1874年、明治政府は台湾出兵を強行する。牡丹社のパイワン族は近代的な武器で攻め入った日本軍に老若男女の区別なく掃討され、生活の場も奪われて悲惨な目に遭った。この二つの事件を併せて牡丹社事件という。
庭園から城郭への石橋。

石橋を渡ると右手の水の上に石碑を載せた亀が並んでいる。御贔屓碑というらしい。

御贔屓碑(亀の背に乗せた石碑群)。

1786年、陝甘総督大学士・福康安は清朝政府から台湾で発生した林爽文事件の早期収束を命じられ、三ヶ月でこの反乱事件を解決する。これを喜んだ乾隆帝は自ら筆を執って詩を書き刻ませたのが御贔屓碑。

    • 林爽文事件
      林爽文は福建省漳州平和の人。父と共に現在の台中県大里市に移住し秘密結社の天地会に加わる。1787年1月、台湾知府の孫景燧が天地会に対する取締りを行うと林爽文は軍勢を率いて反清活動を行う。その後、鳳山の天地会員荘大田も決起するなど一ヶ月で台湾府を除く清朝官衙を天地会の支配下に置く。

赤嵌楼がかつて台南市歴史館だった頃に収集された石碑が小碑林として西側の壁に陳列されている。

小碑林。

二頭で一対の石馬像は林爽文事件で斃れた民兵の武将鄭其仁の墓前にあったもの。
そのうちの一頭がこの石馬象。もう一頭は永康州仔尾の天后宮廟の背後に設置してあるという。

鄭其仁の墓前にあった石馬像。

石馬像横の城壁に開いた四角い穴は1944年に発見されたプロビンティア城時代の正門跡で、内部に微かに階段の痕跡が見える。

プロビンティア城時代の正門跡。

小碑林横の石段で城壁の上に移動。
海神廟にかかる扁額「赤嵌樓」は台湾の軍人で台湾省政府主席を勤めた黄杰の書。

黄杰の手になる「赤嵌樓」。

廟の一階中央には鄭成功の肖像画とプロビンティア城の模型が飾ってある。

廟の一階。

鄭成功の肖像画の上に掛かる扁額「東海流霞」は、鄭成功の五言誌「礼楽衣冠第、文章孔孟家、南山開寿域、東海醸流霞」からとったもの。

鄭成功の肖像画と「東海醸流霞」。

プロビンティア城模型。

二階には「海神廟」の扁額の前に様々な様式の船の模型が陳列してある。

「海神廟」の扁額と船の模型の展示。


船の模型。

赤嵌楼の隣の文昌閣は、1866年に台湾知県(知事)沈受謙が教育振興を目的にして建てたもので、一階が文化財陳列室、二階に魁星爺を祀っている。

    • 魁星爺
      文昌府(神界の学問を司る機関)の事務と人間界の学問と官位を司っている。中国で科挙(官僚登用試験制度)が採用されていた時代には科挙合格の神として信仰を集めていた。現在も試験合格を祈願する信仰の対象になっている。北斗七星を自然崇拝したものが原初と言われており、鬼の形相で右手に辰砂の筆、左手に筆床を握り、右足で大亀の頭を踏みつけ左足で星を蹴る姿をしている。

軒先に「魁星祭」の幟が下がり、プラスチックのケースに収まった形の異なる魁星爺像が虫干しのように並んでいる。「魁星祭」に因んで特別に見えるところに展示しているのだろう。

魁星祭の幟が下がる文昌閣。

文昌閣の前に展示された魁星爺像。

赤嵌楼の魁星爺のレプリカ。なんとも剽軽な姿だ。

孔子廟の魁星爺像。

こちらは魁星爺像ならぬ魁星神像。

文昌閣の回廊に赤い柵に下げられているのは合格祈願札の絵馬ならぬ合格祈願札。台湾の新学期は9月からだから、今の時期は入試も終わった頃か。

ご利益はあったか、合格祈願札。

『私のこの200日間が順調でありますように。1月22・26日の……』

文化財が展示されている一階。

文昌閣二階には魁星爺を祀った祭壇があり、その前には魁星祭のための俄拵えと思われる供物台が置かれている。

魁星爺を祀る祭壇。

魁星爺像。

赤嵌楼の正門が見つかった1944年の赤嵌楼改修時、同時に文昌閣の裏側で赤煉瓦で築かれたプロビンティア城の跡も見つかっている。

プロヴィンティア城跡。

赤煉瓦の厚い壁がそのまま残されている。

文昌閣の前にある小さな祠のような建物は蓬壺書院。

蓬壺書院は、1866年に台湾知県(知事)沈受謙が文昌閣を建てたときに、呂祖廟にあった「引心書院」を現在地に移築、改修した典型的な閩南建築様式の建物。

蓬壺書院。

左右の部屋には近年になって設置されたような小さな書架が並んでおり、その一つに酷く傷んだ小学館の日本国語大辞典全十八巻が並んでいた。

蓬壺書院内に設置されている書架。

書架に並ぶ日本国語大辞典。

蓬壺書院前からの文昌閣(左手前)と海神廟。

庭園に戻り園内の片隅に建つお茶屋で休憩。

お茶屋のメニューには色々な中国茶が並んでいた。

お茶屋の前に立て掛けられている看板に惹かれてタピオカ・ミルクティー(60元/216円)を作ってもらう。

タピオカミルクティー60元(¥216)。

賑やかに入園してきた15人程の小学生達とすれ違い、赤崁楼を後にする。

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