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 2018年8月:台南
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【8月17日(金)晴れ時々曇り】大井頭・陳徳聚堂・天壇

大天后宮から新美街、永福路二段197巷と来た道をたどり永福路二段まで戻る。左手に先ほど立ち寄った祀典武廟が見える。

永福路二段と民権路との交差点際に馬蹄形のマンホールがあり、側に「大井頭」と彫られた石碑が立っている。

馬蹄形のマンホールと写真左端に見える「大井頭」の石碑。

嘗て台南が台湾の首都だった時代に、この界隈が重要な交通の要所で大きな井戸があったという所。 大井頭という名前はもともと井戸の隣にある埠頭という意味を表す地名だったとも伝わっている。

この井戸が何時開鑿されたのかその時期は不明だが、據高拱の台湾府史に明代・宣徳年間(1426 - 1435)に 鄭和と王景弘がここで水を汲んだと記されているそうだ。台南市の指定古蹟になっている。

民権路を渡って永福路を進むと左手に路地を挟んで華南銀行と台新銀行が並んでいる。 この路地が永福路二段152巷で、この路地に入って行くと陳徳聚堂の前に出る。

陳徳聚堂。

創設は明・永暦15年 - 37年(1661 - 1683)の間とされており、鄭成功の右先鋒・陳澤が承天府に建てた邸宅「統領府」が前身。 陳氏の子孫が統領府を改築して宗祠とし「徳聚堂」と呼んだ。堂屋は日本統治時代末の戦火で焼失したが、台湾復興時に再建されている。

門を入ると前庭はヒッソリ。

2000年に修復工事が完了し現在に至っている。
陳氏宗祠とも呼ばれ、明朝・鄭東寧の総制斯使・陳永華の邸宅が前身という説もある。

祭壇上の赤い横幕に「陳澤」の名が見える。

永福路二段152巷を抜け忠義路二段を突っ切り忠義路二段84巷に入ってゆく。

忠義路二段を突っ切って忠義路二段84巷へ。

地元の人には天公廟として知られる台湾首廟天壇の前に出る。
台南天壇とも呼ばれる道教寺院で、首廟とあるように台湾初の廟と言うことになっている。

台湾首廟天壇。

門の真向かいに建つ照壁。

三川門に掛かる「天壇」の扁額。

拝殿に掲げられている「一」一文字の扁額は大変に珍しいが、台湾のことわざ「千算万算、天の一算に如かず」から来ているという。 台南三大名扁の一つとしてその存在は広く知られている。 後の二つは台湾府城隍廟の「爾来了」と竹溪寺の「了年世界」。

拝殿に掲げられている「一」の扁額。

拝殿に上がる石段の中央で龍が柵に囲まれている。

柵に囲まれた龍のレリーフ。

正面を向いた龍は珍しい。

主祭神は道教の最高神、玉皇上帝。
台湾主廟天壇が建つこの場所は、嘗て府城で最も尊い場所とされた鷲嶺で、元々、鄭王朝の吏員・明正朔が祭祀を行った空き地があった所らしい。

清・咸豊4(1854)年の創建、1893年に行われた大改修で現在の姿になる。 以来、現在の名称で市民に親しまれ、国定三級古蹟に指定されている。

正殿の祭壇。

正殿の祭壇中央に玉皇上帝の像は無く「玉皇上帝聖位」と彫られた牌がある。

正殿の祭壇。

オレンジ色のシャツを着たお兄さん二人、参拝客では無く天壇の職員のようで『何処から来た?』と声をかけてきた。あいにく当方の力不足故、それ以上の会話は不成立で笑顔をもらうばかりだった。

笑顔で声をかけてくれたお兄さん達。

三官大帝が祀ってある後殿の前でお参りする令嬢一人。

熱心にお参りする麗人。

三官大帝は天官・地官・水官を併せた呼び名で、天官は福をもたらし、地官は罪を赦し、水官は災いを除くと伝わっている。

三官大帝と一緒に斗姥元君と三清道祖が祀られた祭壇。

天壇の右隣に接している武聖殿の本殿は階段を上った二階にある。

武聖殿の門。

こぢんまりした廟で正殿は文衡聖帝(関聖帝君)を祀っている。文衡聖帝は文人としての関羽に付けられた神名。

正殿と祭壇。

後殿の五文昌帝君と観音佛祖を祀った祭壇。

文衡聖帝の右隣が太崴殿。

太崴殿。

太崴殿も拝殿は二階にある。

階段を登ると床がオレンジ色。

正殿内。

祭壇に祀られた斗姥元君。

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