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  2022年7月:博多
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【7月4日(月)曇り】寺院巡り3

◆ 承天寺通り
乳峰禅寺前の国体道路を渡り、両側に寺社を連ねた承天寺通りに入る。

承天寺通り。

◆ 天與庵(てんよあん)
臨済宗東福寺派の寺院で創建は1299(西安元)年、開山は円鑑禅師蔵山順空。
博多大空襲で焼失したが1965(昭和40)年に再建。承天寺の塔頭寺院である。承天寺の北隣に伽藍を構えている。

天與庵山門。

本堂正面。

本堂の前に広がる庭。

本堂入り口(玄関棟)。

本堂入り口の右手が庫裡。

◆ 寶聚菴(ほうじゅあん)
1290(正応3)年に東山湛照によって創建された承天寺の塔頭寺院。開山は寶覚堪照禅師。博多大空襲で焼失したが、1986(昭和61)年に再建されている。

寶聚菴。

寶聚菴本堂。

◆ 萬松山 承天寺(ばんしょうざん しょうてんじ)
1242(仁治3)年に博多に住む宋の帰化人で貿易商の謝国明が、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)を開山に迎えて創建した臨済宗東福寺派の寺院。檀越として太宰少弐武藤資頼の名が伝えられているが、資頼は1228年に没している。

山門。

山門を入ると左の塀際に聖一国師が伝えたとされる饂飩や蕎麦、饅頭発祥の記念碑がある。

饅頭発祥の記念碑。

庫裡。

方丈と石庭の洗涛庭。

承天寺は1958(昭和33)年から1973(昭和48)年にかけて実施された福岡市の区画整理事業(博多駅移転時の都市計画)によって、この方丈のある区画と仏殿のある区画とは道路で分断され、今日に至っている。

◆ 博多千年門(はかたせんねんもん)
承天寺の仏殿には回らずに承天寺通りを博多駅方面に進むと、博多千年門にぶつかる。

「萬年正續」の扁額が掛かるこちらは門の裏側(内側)。

「萬年正續」の扁額は、承天寺を開山した聖一国師が修行した中国の径山(きんざん)萬壽寺の戒興住職による揮毫。

扁額。

2014(平成26)3月に新しい博多のシンボルとして建てられた門で、古文書に登場する博多の出入り口「辻堂口門」をモデルに、木造瓦ぶきの四脚門として建てられたもの。高さ、幅ともに約8メートル、博多の街の未来千年の繁栄を願って命名された。
博多駅側が正面になり「博多千年」の扁額がかかっている。

こちらが正面。

扁額は太宰府天満宮の西高辻宮司による揮毫。

扁額。

◆ 若八幡宮(わかはちまんぐう)
別名「厄八幡」と呼ばれる全国的に有名な厄除け神社。

1904(明治37)年建立の一の鳥居。

創建等は不明だが元禄年間(1680−1704)に編纂された貝原益軒の福岡の地誌「筑前國続風土記拾遺」に『鎮座の始詳ならず。箱崎の摂社なりしといふ。むかしは藪八幡と称せし毎年十一月初夘日櫛田宮の巫女御倘を供へ奉る。いつの比よりか御社を東向に造建せるならん』と記されおり、元禄以前から筥崎宮、櫛田神社との関係が指摘されている。

境内。

2021年(令和3)年に社殿が増築されている。御祭神は、大鷦鷯命(おおさぎのみこと:仁徳天皇)、大乙貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)。

2000(平成12)年建立ニの鳥居。

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