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  2022年7月:博多
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【7月4日(月)曇り】寺院巡り1

朝からホテルから徒歩圏にある博多旧市街地の寺院巡り。
地下鉄・祇園駅二番出口を出ると目の前に浄土宗鎮西派の小さな寺院がある。

◆ 冷泉山 龍宮寺(れいぜいざん りゅうぐうじ)
山号の冷泉山は博多津の別称冷泉津にちなんでいる。開山は谷阿上人と伝わるが開基年は不詳。開山当初は袖の湊の海辺にあり寺内まで潮が入ったので浮御堂と呼ばれた。貞応元(1222)年、海中より人魚が出現し、国家長久の瑞兆と占われて寺内にこれを埋葬し、寺名を龍宮寺と改めたという。なお、開山、開基、勧請(かんじょう)の違いは次の通り。

  • 開山は初代住職を指す。
  • 開基は寺院の創始にあたって経済的支援者を指す。
  • 勧請は神仏の分霊を請じ迎えて祀ること。
冷泉山 龍宮寺 山門。

文明12(1480)年、当時、博多を支配していた守護大名大内氏に招かれて筑紫に下った連歌師・飯尾宗祇は当寺に寄寓し博多百韻を興行、「秋更けぬ松のはかたの奥津風」と詠んだ。この際に詠まれた連歌は『博多百韻』として現在に伝わっている。この道中を記した「筑紫道記」はすぐれた紀行文として、応仁の乱後の博多を語る貴重な史料である。慶長5(1600)年、本誉上人が現在地に移転、再興した。

山門を入ると荒神堂があり、さらにその奥、右手のビルの影に三階建のモダンなビルの本堂があるのだが写真を撮り忘れた。

荒神堂(三寶大荒神)。

◆ 石城山 妙楽寺(せきじょうざん みょうらくじ)
龍宮寺から大博通りを渡り御供所通りを入ると左手の奥にある。
臨済宗大徳寺派の寺院。正和5(1316)年に大応国師(南浦紹明)の法弟・月堂宗規による開基。山号の由来は、開基当時、博多湾岸沖の浜の石塁上に造営された当寺が海上から石城のように見えたことによるという。

石城山 妙楽寺 山門。

山門に掛かる「石城山」の扁額。石は一画多い。一画多い石は趙孟頫(ちょう もうふ/1254−1322)の書にもみられる。趙孟頫は王羲之の書風を学び宋代の奔放な書風とは一線を画し、後代に典型を提供した人。書は王羲之を越え中国史上でも第一人者とされている。

遣明使一行が宿泊するなど対外交渉の拠点の一つになっていた。明僧来復の詩文にある呑碧樓、潮音閣の建物は寺内に掲げる篇額にその名が残っている。天正年間に焼失し、黒田長政入国後現在地に移転した。本堂裏の墓地には黒田家重臣の墓石が立ち並び、博多の豪商である神屋宗湛の墓が残る。
山門は通れないが、山門直ぐ右手の車が入れる小道から参道へ入れる。

山門から続く参道。

参道の外れに掲げられた境内図。

鐘楼と境内図。

開山堂を囲う塀。

開山堂。

庫裡。

庫裡の横に建つ新しい石碑に「ういろう伝来の地」とある。

石碑「ういろう伝来の地」

石碑の「ういろう」は米粉と砂糖を練り合わせ蒸して作る和菓子・外郎のこと、名古屋の銘菓として知られている。

その発祥の地がここ、妙楽寺だという。
1368(正平23)年、中国の元が衰えて明が成立する。その混乱の中、大陸から博多の妙楽寺を頼って亡命してきたのが元で「礼部院外郎」という医薬に関わる官職にいた陳延祐(ちんえんゆう)で、博多に来てから陳外郎と名乗る。
延祐の長男、陳外郎宗奇は大陸から万能薬「透頂香(とうちんこう)」を取り寄せ「外郎薬」という名前で売り出す。「ういろう」とは薬の名前だった。

宗奇は室町幕府三代将軍、足利義満に招かれて薬を献上した。この薬は大変苦いので、口直しに米粉と砂糖で作った菓子を添えて出したと伝わる。やがてこの口直しの菓子が「ういろう」と呼ばれるようになった。

「ういろう」と博多の歴史をアピールしようと、妙楽寺前住職の渡辺桂堂が1987(昭和62)年に境内に「ういろう伝来之地」と刻まれた石碑を建立した。

本堂裏の墓地に続く本堂裏西側の路地。

◆ 永寿院(えいじゅいん)
妙楽寺の山門の左隣に並んでいるのが、臨済宗大徳寺派の横岳山 崇福寺の隠居寺であったという永寿院。一時、無住のときがあって荒れはてていたが、1935(昭和10)年頃になり初めて僧が定住した。
「開山ハ江雲霊通和尚、檀越ハ黒田家ノ士小河平右衛門常章(法名:外成)。寛文元(1661)年(中略)其母永寿院菩提ノ為創立ス」と『筑前国福岡区地誌(1980年)』にある。境内には崇福寺の長政公夫人の墓所にあったといわれる「羪照院殿」と刻まれた石灯篭がある。

崇福寺は御笠川を越えた北側にあるために今回は詣ていない。

永寿院山門。

◆ 円覚寺(えんかくじ)
永寿院の50メートルほど先にある小さな山門が円覚寺。山門の奥に広い境内が広がっている。
大覚禅師蘭渓道隆(1213−1278)による開山、開基は藤原道信(?−994)、勧請開基 北条時頼(1227−1263)。蘭渓禅師は中国から渡来した僧で、鎌倉中期の寛元4(1246)年、三十三歳の時に弟子義翁紹仁らとともに日本に本格的な禅を布教する為に来日した。 建立時期は蘭渓禅師が来日した寛元4(1246)年から、鎌倉に移ることになる宝治2(1248)年の間と考えられる。円覚寺はかつて千磐浜にあったが、天正14(1586)年に喪失する。寛永13(1636)年に現在の博多御供所町に移転して再建され、安国山聖福寺の搭頭の一つとなる。

円覚寺には千利休の奥義書「南方録」が伝承されており、南方流の茶と禅の道場として有名。南方録とは、千利休が高弟であった南坊宗啓禅師に茶道の秘伝を伝えた事を書き留めたもので、一巻一巻の末尾に千利休が奥書証明している全七巻の本。

円覚寺山門。

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