ホーム2015年ルアンパバーン(4月)盛岡・花巻(11月)
  2015年4月:ルアンパバーン
4月28日4月29日4月30日5月1日5月2日5月3日5月4日5月5日5月6日5月7日地図
ワット・パバートタイカイソーン公園/ワット・タート/ワット・マノーロムワット・プラマハタート

【5月2日(土)】 カイソーン記念公園/ワット・タートルアン/ワット・マノーロム

ワット・パバートタイを出てポーティサラ通り(Phothisalath Road/Photthisarat Road)に戻ると、直ぐ左手の公園がカイソーン元国家主席記念塔公園。

公園入口のカイソーン・ポムウィハーン元国家主席記念塔碑。

公園の門を入ると正面に建つ元国家主席の銅像。

カイソーン・ポムウィハーン元国家主席。

銅像の前から振り返ると門の向こうに真っ直ぐカイソーン・ポムウィハーン通り(Kaysone Phom Vihane Road/プー・ワオ通り Phu Vao Road)が伸びている。

カイソーン・ポムウィハーン通り。現地ではプー・ワオ通りと呼んでいるようだ。

記念像の奥にも広がる公園。

公園の真向かい、カイソーン・ポムウィハーン通りの角で、こちらに来て初めてガソリン・スタンドを見た。タートルアン・ガス・ステーションだ。

門を入って給油するタート・ルアン・ガス・ステーション。

門の奥は確かに給油所だ。

交通量が少ないカイソーン・ポムウィハーン通り。

カイソーン・ポムウィハーン通りを山(東)に向かって進む。左側の歩道上に立つ青い看板はルアンパバーン財務局だ。

ルアンパバーン財務局の看板。

ペンションのような財務局の建物。

財務局の先で左に折れて道なりにクネクネ進む。今日も37℃くらいありそうだ。

財務局の角を曲がるとくねった道になる。

◆ ワット・タートルアン(Wat Thatluang)
くねった道を350メートルほど行き最初の角を左に折れるとワット・タートルアン(Wat Thatluang)の門の前に出る。

ワット・タートルアンの門。

門を入ると、ここも大きな木の下に仏像が安置されている。

門を入って最初に出会う仏像。

木の下に祀られた仏像というのは全ての寺院にあるわけではなく、ルアンパバーンではここワット・タートルアンやワット・ビスンナラートワット・アームワット・アップハイがある。

ビエンチャンのワット・シームアンワット・ハーイソークも木の下に仏像を祀っていた。それぞれの寺院の建立時期あるいは宗派、はたまた寺院の格付け・規模のようなものが関係しているのだろうが、その理由は分からない。

タイのバンコクやチェンマイで見て来た寺院には無かった気がする。

この仏像、七頭のナーガを光背にしている。

ビエンチャンにもタートルアンがあったが、こちらはワット・タートルアン。
マンタトゥラート王(Manthatourat/在位1817 - 1836)治世下に建てられた寺院と伝わっている。

木の下に安置されている仏像の横を通って本堂へ。
本堂への通路は両側に七頭のナーガを飾ったゆるい坂道になっている。この坂道、かつては石段だったのではないだろうか。自動車が出入りできるようにとそれまでの石段を坂道にしたように見える。

七頭のナーガに護られた坂道。

この本堂は、その昔ワット・ケオ(今はワット・パバートタイとして知られている)に生えていたバンヤンの木(菩提樹)で建てられていたそうだ。

本堂の正面と背面に一基ずつ金と銀の仏塔が建っている。

1975年の共産革命以前は王室の火葬場としても利用されていたそうで、ランサーン王国最後の王シーサワンウォンはワット・シェントンからこの寺まで霊柩車で運ばれ、ここで火葬されている。遺灰は金色の仏塔に埋葬されているという。

本堂を挟むように建つ二つの仏塔(手前が金色仏塔)。

本堂の正面扉が閉まっていたので僧坊から出てきた修行僧を捕まえて中を見学したいと伝えると、横に一つだけ細く開いている扉を教えてくた。

ゴージャスな塗装が施された本堂の列柱と本尊。

高い台の上に祀られた本尊の回りにも沢山の仏像が祀られている。

ワット・タートルアンを出て道なりに東に行く。
破れた塀の中から子供たちの歓声が聞こえてくる。隙間から覗いて見ると木の上の少年と目があってしまった。

木登りで遊ぶ子供にレンズを向けたら、恥ずかしそうに顔を隠した。

◆ ワット・マノーロム(Wat Manorom)
木登り少年にバイバイしてからT字路を左に曲がる。左側がワット・マノーロムの塀だ。

ワット・マノーロムの門札。

ワット・マノーロムの門。

門をくぐると左手の一段高い所に金色の仏塔が輝いている。ビエンチャンのタート・ルアンを模して造られた仏塔だという。

タート・ルアンを模した仏塔。後は本堂の屋根。

短くワット・マノー(Wat Mano)とも呼ばれるこの寺院は、ルアンパバーンの最も古い地域に建っており、十四世紀には既にこの地に寺院が建っていたと伝わっている。

現在のワット・マノーロムは1818年に開基された寺院だが、1887年のホー族の侵略によって焼け落ち、1972年に復旧したものだ。

ワット・マノーロムはファーグム王(Fa Ngum/在位1353 - 1373)が、彼の父サーム・センタイ王(Sam Saentai/在位1373 - 1416)の遺灰を納めるために建立した寺院で、創建当時は高さ6メートル、重さ12トンの青銅製のスコータイ様式の仏像が納められていた。その仏像も1887年、ホー族の侵略によって破壊されてしまったが1919年に復元され、1971年に大規模な補修が施されている。

ワット・マノーロムの本堂。

本堂前に並ぶのは懺悔小屋。

本堂に近づくと回廊は着飾った人達であふれている。

回廊では食事の準備が進んでいた。

本堂の中も人で埋まっており、僧侶達が上げるお経が外に据えられたスピーカーから流れてくる。
寺院全体がざわついているのはお祭りだからだろう。

人で埋まっている本堂。

1919年に復元され、1971年に補修された本尊。

境内の隅で飲み物を売っていたのでジュースはいくらか尋ねると "No、no!" の返事。部外者には売らないのかと思ったら、別の声で "Free, free!"。参拝者に無料で振る舞っていたので、お礼を言って有り難く頂戴する。

笑顔が素敵なお姐さん達。

オレンジ・ジュースのような色をしているが、別物だった。ホンの少し渋みと苦みを感じる初めて口にする飲み物だ。

このジュース、初めての味だった。

喉が渇いていたので、頂いたジュースを飲みながらワット・マノーロムの門を出て左にポーティサラット通り(Phothisalath Road/Photthisarat Road)に向かう。

ワット・マノロームの門を出て左へ。この道の先がポーティサラット通り。

しばらく行くと緑色の屋根が見えてきたのはルアンパバーン林野局だ。

ルアンパバーン林野局。

ワット・パバートタイカイソーン公園/ワット・タート/ワット・マノーロムワット・プラマハタート
4月28日4月29日4月30日5月1日5月2日5月3日5月4日5月5日5月6日5月7日地図
ホーム2015年ルアンパバーン(4月)盛岡・花巻(11月)