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  2014年4月:ビエンチャン
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ワット・ミーサイパトゥーサイタート・ルアンワット・ノーン・ボーン/タムナック・ラーオ

【4月28日(月)】 タート・ルアン(That Luang)

パトゥーサイ公園から12月23日通りを経由して1.2km余り先のタート・ルアンへ向かって歩く。

この道路の「12月23日」には何か謂われがあるはずだと思って調べてみたが『2010年12月23日の第6期国民議会第10回会議の閉会式において、ブアソーン首相は任期途中で辞任し、国民議会議長のトーンシン・タムマヴォンが新首相に就任した。』日ということしか分からなかった。

交通量の多い12月23日通り。

この道は車の通行量が多いと感じたが、歩き始めると歩道にはずっと車が駐車していて人が車道を歩く羽目になっている。

歩道上に駐車している車。

タート・ルアンの前は広大な空き地だが、観光シーズンのバスや車の駐車場なのだろう。今はバスも車もいないが、この広さからシーズン中の混雑の具合が想像できる。

タート・ルアン前の広場は駐車場なのだろう。

駐車場の外れにたっぷりと枝を張った木が一本。

◆タート・ルアン (That Luang)
タート・ルアンは16世紀、ワット・ホーパケオを建立したラーンサーン王国(チェンマイ王朝)のセーターティラート王(Settathirat I/1534年 - 1572年)が建立したと伝わる金ピカの仏塔だ。

その仏塔の前に建つのがセーターティラート王の象で、飾られた花や供え物が多いのはこの王がビエンチャンの人達の間で人気があるからなのだろう。

サイ・セーターティラート王の像。

温和な表情をしたサイ・セーターティラート王像。

この黄金の仏塔は13世紀初頭に建てられたクメール様式仏塔の廃墟を修復・改築したものだと言われている。
紀元前3世紀にマウリヤ朝のアショーカ王が派遣した仏僧によって建立されたインド寺院が基になっているとも言われているが、真偽は定かではない(Wikipediaより)。

ラオスのシンボルにもなっている金色の仏塔。

入口で拝観料5,000Kip(約60円)を払って回廊の内部に入る。

石段の上で参拝する観光客。

仏塔内にはブッダの遺物が残っていると伝わっているようだが内部の見学は不可。
タート・ルアンは19世紀にタイの侵略を受けて破壊されてしまったが、その後再建されて今に到っている。塔の構造や意匠にラオスの文化やアイデンティティが随所に見られ、現在のラオスのシンボルになっている。

ブッダの遺物が収められていると伝わる仏塔、タート・ルアン。

タート・ルアンの周囲には4つの寺院があったのだが、現在は南側のタート・ルアン・タイ(Wat That Luang Tai)と北側のタート・ルアン・ヌア(Wat Thatluang Neua)だけが残っている。

金色の仏塔の南側の寺院タート・ルアン・タイはきれいな塀で囲まれている。

タート・ルアン・タイの門。

灯籠のような飾りをのせた塀が見事だ。。

僧侶や信者がお堂に大勢集まっていたが、この建物はウィハーン(礼拝堂・伽藍)か?

オープンな建物はウィハーンなのか?

お堂から美味そうな匂いが流れてくる。階段を上ってみると僧侶達が食事をしているところだった。

食事中の僧侶達。

僧侶が食事をしているテーブルの横に集う人達。

境内の片隅にタイのワット・プラケオで見たことがある半人半鳥の女性楽士キンリー像が立っていた。

キンリー像。

境内の一番奥には青空の下で涅槃仏が横たわっている。

青空の下に横たわる涅槃仏。

涅槃仏の横に立つ大きな木の根元で雛を育てる雌鳥の姿を見つけた。

涅槃仏の横で子育てをする雌鶏。

境内の外れに建つ建物の屋根の形がワット・シーサケートのホー・トライに似ているが、これも教典庫か?

これもホー・トライ?

タート・ルアンの北側にあるのがもう一つの寺院タート・ルアン・ヌアで、ここはラオス仏教の最高指導者(Pha Sangkhalat)の住まいになっている。メインの建物は20世紀初頭に復興されものらしい。

タート・ルアン・ヌアの本堂。

本堂に並んで建つ長い階段と高い床を持つ重々しい建物は、仏教に関する会議や儀式を行うためのホー仏教徒会議場(Hor Dhammasabha Buddhist Convention Hall)で、ビエンチャン市450周年記念の祭典時に公開かれた建物。

ホー仏教徒会議場。

正面の大きな石段を15段上がって踊り場で履き物を脱ぎ、さらに15段上って建物の中に入る。床に敷き詰められた御影石が素足にヒンヤリした。

右側の部屋は床も天助も赤、奥に仏像が一体安置されているだけだった。

仏像が一体だけ安置された右側の部屋。

左側の部屋は仏像が安置されている部屋と同じように広くガランとしている。
中央に置かれたテーブルには、未だ表紙が付いていない大型で厚い本が白い塊になって積み上げられている。

テーブルに積み上げられた未完成の本。

奥のテーブルではできあがった本を封筒に入れて、何処かに発送する準備をしているようだ。

こちらのテーブルには製本用の器具と接着剤が載っている。

作業の邪魔にならないようにと離れたところから見ていたのだが、こちらを気にしている様子もない。近づいて作業中の僧侶に声をかけてみた。

『この本は何の本ですか?』
『ティピタカです。』
『…ティピタカ?』

うまくコミュニケーションがとれないがこの本は「ティピタカ(Tipitaka)」と言うらしい。
僧侶が私を本棚の前に引っ張っていき、そこに架かっている額を指し示すので覗いて見ると、そこには“Tipitaka”と題されたその由来書が収まっていた。

そこにはこんな風に説明してあった。
『ティピタカは仏教の聖典で84,000にも及ぶ仏の教えが書かれている。これらの教えは仏陀の45年に及ぶ説教を記録したもので、紀元前29年の始め頃スリランカのアロカビハーラで椰子の葉に書かれたものである…。』
最後に「ラオス・ティピタカ翻訳センター」と書いてあった。

ここで製本されているティピタカは一冊の大きさがA4版、厚みが3cm、これが45冊で一組という大著だ。

右が表紙をつけて完成したティピタカ。

さらに案内してくれた大きな書架にはラオス語のティピタカのほかにタイ語、ベトナム語、パーリ語などによるものがぎっしり並んでいて、この書架を見せてくれた僧侶の様子が誇らしげだった。

ティピタカが並んだ書架。

タート・ルアンの近くに住む人たちなのか、あるいは何処か遠い町から来た人たちなのか、数名のお年を召した女性が石の床に直に腰を下ろして、数冊のティピタカを手に、年配の僧侶を交えてずっと何か話し込んでいた。その様子から察するにティピタカを買い求めてここにやってきた人たちのようだった。

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