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 2004年3月:北京
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【3月12日(金)】NITS・故宮博物院

訪問先の全国情報技術標準化技術委員会(NITS)は国家品質検査総局と情報産業省の下で、中国語情報技術、漢字コード、漢字字形の標準設定・管理などを含む中国国内最大の標準化委員会だ。

安定門東大街にある中国電子技術標準化研究所 (CESI) に設置されている事務局に委員長の王立建さんと担当の戴紅さんを訪ねる。中国電子技術標準化研究所からは昨年7月に見学した雍和宮も近い。

王立建さんの許可を得て施設内を撮らせてもらったので一部を紹介しよう。

中国電子技術標準化研究所6階の廊下を行くBillsんとSaitoさん。

中国電子技術標準化研究所の廊下に架けられていたICカード登録センターと情報処理製品標準符合性検査センターのプレート。

このドアの奥が検査センターで入室にはIDカードが必要だ。

検査センターの一室。この時はネットワークに関するシステム系ソフトウエアをテストいるとのことだった。

10時から12時30分までかかった全国情報技術標準化技術委員会との会議も無事終了。
会議出席者全員で国貿駅近くの和食レストラン日本橋まで遅い昼食をとりに出かける。

Saitoさん、戴紅さん、王立建さん、Shibaharaさん、Billさんと私(右から)。

昼食後はBillさんの案内で故宮博物院を見学する。昨年10月に見学した天安門の内側だ。

チケット売り場近くでたどたどしい日本語で近寄って来たのは公認の故宮博物院ガイドだった。Billさんが彼の日本語の程度を私達に確認してからガイド料を交渉し、1時間コースで案内を頼んだ。

午門を入ると直ぐに金水橋を渡り、前方の太和門をくぐると正面にドーンと太和殿が眼に飛び込んでくる。太和殿とその前に広がる空間を眼にして、映画「ラストエンペラー」の一シーンが思い浮かんだ。

太和殿。

皇帝の長寿を祈念した太和殿前の亀鼎。

中和殿、保和殿、乾清門、乾清宮と奥に進み、陶磁館で古い焼き物を見る。
唐三彩、青磁、白磁がなんともフッキラボウに展示されている。

陶磁館を出てから坤寧宮、長春宮、翊坤宮などを回るが最後は何処が何処やら分らなくなってしまった。午門から故宮を案内してくれた賀さんのガイドは乾隆花園の辺りまで。

後はBillさんの後をついて広い故宮の中を右往左往する。

坤寧宮の玉座。

長春宮前の路地。突き当たりは崇敬殿。

門から奥を覗いただけだがここは何処だったか?

翊坤宮前の赤い壁には飾りに陶三彩風の陶板が埋め込まれている。

ここも映画「ラストエンペラー」に登場する。故宮の外側に近いせいか壁の高さが内廷のそれの二倍以上の高さになっている。

故宮の北門にあたる神武門は太和殿を挟んで午門の正反対の位置にある。その神武門を出ると直ぐに故宮をぐるりと囲む筒子河と呼ばれるお掘りに出くわした。

筒子河と故宮城壁の城壁。城壁の角には角楼が見える。

故宮の正門になる午門と裏門にあたる神武門の佇まいは見てのとおり大変な違いだ。

故宮の北門、神武門。「故宮博物院」の額が見える。

道路を挟んで神武門の真向かいは景山公園だ。

道路を渡ると景山南門がある。明清代の北京城内で一番高い場所がこの公園の名前の由来になっている景山だ。景山の上には万春亭が建ち、故宮全景と北京市内を一望できると言う。

景山公園南門と、その後ろは景山に建つ万春亭。

景山公園南門入口のキップもぎリ嬢達。寒そうに見えるがこの日はそれほど寒い日ではなかった。

景山公園東門近くには明最後の皇帝「崇禎帝」が1644年に首を括ったという槐の木がある。
実際の木は文化大革命時代に切り倒されており、今はその後に植えられた木が残っている。

「崇禎帝」が1644年に首を括ったという槐の木。

「崇禎皇帝自縊処」と読める説明文が木の前に建つ。

夜はBillさんとSaitoさんの三人で、宿泊ホテル「北京新世界万怡酒店」近くの「東来順」で食事。
この店は北京でも知られたラム肉のしゃぶしゃぶ店で、皿に盛り付けられた薄くスライスされたラム肉が見事だ。
周りのテーブルは小さな子供を交えた家族連れや職場の同僚と思われるグループが、賑やかにコンロを囲んでいる。


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