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  2004年12月:印旛沼界隈
まがり屋まがり屋内部メタル・アート・ミュージアムミュージアム内部地図

【12月】まがり屋

正月用の酒を買うのと今年最後の鰻を食べるのとメタル・アート・ミュージアムの北詰館長に会うために酒々井、佐倉に向けて一走り。

自宅の馬橋を出発して常磐平、五香を過ぎ椚山(くぬぎやま)交叉点から464号線に入り、初富交差点で東武野田線の高架下をくぐって左折。
鎌ヶ谷市役所前、イオン鎌ヶ谷ショッピングセンター横を通り、北総開発鉄道の高架下を抜けて大きめの交叉点を直進する。

この界隈は今も再開発が続いており道路状況が走る度に変わっている。

今年始めに開店したイオン鎌ヶ谷ショッピングセンターのせいだろう、車が増えているのを実感する。
前方に[(直進)我孫子・国道16号、(右折)千葉ニュータウン]の道路標識が見えてくる。
鎌ヶ谷消防署前T字路交叉点の信号だ。この信号を右折し464号線をさらに進む。

鎌ヶ谷消防署前T字路交叉点の標識。

鎌ヶ谷消防署前T字路交叉点から1.5kmほど走ると464号腺は上り線、下り線が北総開発鉄道を挟んで別々になるため、対向車線のない片側2車線の走りやすい道になり、広大な千葉ニュータウンに沿って走る。

千葉ニュータウン沿いに走る464号線。

464号線に挟まれて走る北総開発鉄道。

千葉県水道局の北総浄水場が見えて来ると464号腺は1車線になり右に急-カーブして北総開発鉄道の上を横切る。

北総浄水場の高架水槽。

跨線橋を渡ると直ぐに竜腹寺交叉点なのでそこを左折。
ここからは北総開発鉄道の右側を2車線対面通行で鎌刈北交叉点まで走る。

鎌刈北交叉点が見えて来ると跨線橋の上に尖った建物が見えてくる。この交叉点を印旗沼方面に右折する。

突き当たりの跨線橋が鎌刈北交叉点。

尖った建物が気になるので464号腺を外れてその正体を見に回り道をする。
それは北総開発鉄道の終点「印旛日本医大駅」だった。駅周辺は人通りが全くない。

印旛日本医大駅。

再び464号線に戻り日本医大病院前、印旛村役場前を過ぎて曲がりくねる道を往く。

印旛郵便局前の交叉点で左折する464号腺とは別れて交叉点を直進する。
直ぐに緑色の鉄橋が見えてくる。干拓事業で北と南に分かれた印旗沼を結んでいる印旛捷水路に架かる山田橋だ。

緑色に塗られた山田橋。

山田橋を渡り林に囲まれて狭くなった道を大きくカーブすると印旗沼が見える。

坂道を下ると小さな交叉点がある。
交叉点から先は印旗沼の脇を向い側の丘陵地まで真直ぐ伸びる見通しのいい道だ。
丘の右手奥には「佐倉草ぶえの丘」や「野鳥の森」が、左手奥には「佐倉市岩名運動公園」がある。

左手は一面の水田、右手は印旗沼。

さらに細くなった道を佐倉草ぶえの丘、佐倉自動車学校、下根、山崎と抜けて京成佐倉駅の手前で右にカーブし踏切を渡る。

直ぐに296号腺に出る信号がある。
直進すれば国立民族歴史博物館に入って行く。この信号を左折する。

Y字路になっている市役所下交叉点で296号線から離れて左の道を進む。
京成線佐倉駅前を過ぎて進む道はアップダウンが多い。
もう一度296号線を横切り白銀の住宅地を抜けて陸橋を渡ると51号線に合流するT字路にぶつかる。ここを左折する。

突き当たりが51号線。

51号線を七、八百メートルほど走り最初の信号を右折する。
この信号は上本佐倉交叉点だが道路標識をよく見ると交叉点は5叉路になっている。
右折レーンに入り一番右の細い道にUターンするくらいの角度で入って行く。

5叉路になっている上本佐倉交叉点。

右折してからはカーブとアップダウンが続く。
ゆるい上りの急で長いカーブの先に「酒々井まがり家」と書かれた立て看板がある。
この立て看板の先に見える信号は上本佐倉交叉点右折後最初の信号だ。この信号が目印の信号だ。

酒々井まがり家の立て看板。

信号機には「JR南酒々井駅入口」のプレートが見える。
信号の右角には大きな「石田電気商会」の看板が、左の建物の壁には「(株)竹内電設」の看板がある。

この 信号を右折すると直ぐにひっそりとしたJR総武本線の南酒々井駅前に出る。
JR駅と言っても駅前には何も無く駅舎もJRの駅とは思えない侘びし気な小さな駅だ。

この信号を左に入る。

この信号を右に行くと「南酒々井駅」、左に行くと「酒々井まがり家」だ。

信号を左折すると道はさらに細くななる。左手は奥まで続く杉の森だ。

このカーブを曲がり切ると「酒々井まがり家」の入口が見えてくる。

「酒々井まがり家」の入口には樽の上に重ねた桶を三角屋根で覆った目印がある。

表札代わりの樽と桶。

短いスロープを下りて行くと「飯沼本家(酒造甲子正宗)」の工場入口の門と「まがり家」の前に出る。

門の左柱には「飯沼本家」の看板が控えめにかかっている。
たまたま門からできた工場の人に、この工場がどのくらいの広いのか聞いてみたが帰ってきた返事は「とにかく相当に広いですよ。」だった。

飯沼本家の入口。

古めかしい門と塀を前に、どっしりと移築されたまがり家の白い壁と銀鼠の瓦が清々しい。
右手の軒下には大きな酒林(杉玉)が下がっている。

屋根が銀鼠色に光る「まがり家」。

まがり家玄関口の左手にも酒林が下がっている。紺の長めの暖簾がかすかにゆれて手招きしているようだ。

まがりやの玄関。

暖簾の右横には「建築物由来(旧清野邸)」が掛けてある。まがり家がここにある由来と間取りが記してあった。

建築物由来(旧清野邸)

この建物は、新潟県東蒲原郡上川村大字神谷丙字室谷にあり、旧清野(せいの)邸として使われてきた民家を、移築再生したものであります。
清野家は、代々村の肝いりを努めて来た家柄であり、山林地主でありました。
江戸期元禄年間に建てられたものを、明治初期に移築し、曲がり家形式の民家としたのが左図(実測復元平面図)であります。
清野家の平面図を見ると、特徴的なのは茶の間と呼ばれる3間×2.5間の部屋に、半戸といわれる遺構が見られます。またこの部屋には諸々の神々を祭った神棚が三社安置され、主人の寝起きする家長の間となっていました。
「ニワ」は板敷きの間となっており、食事や団欒の部屋であり、農閑期のワラ細工や夜なべ仕事の作業場となっていました。
この由緒ある清野邸は、電源開発に伴うダムの建設工事で、水没する運命にあり取り壊されるところを、現当主清野誠一氏の好意により、平成6年春、(株)飯沼本家が譲り受け移築再生利用しました。

まがり家の裏手はよく手入れされている深い杉の森になっている。
ここが都心から1時間ほどの所とは思えない環境だ。落ち葉に覆われた足下がふかふかと心地よい。

まがり家の裏は林。

落ち葉を踏んでで林の奥に入ると飛び石の奥に開けた場所に出る。
未だ新しい大きな丸太のテーブルと椅子を前庭にしつらえた「梟の森工房」だ。
定期的に木版教室が開かれているらしい。ここも飯沼本店が企画運営しているそうだ。

梟の森工房。

梟の森工房の名の通り夏は梟の声を聞くことができるらしい。
工房の横手から森の奥に続く小道が用意されている。

未だ完全に整備されていないそうだがぜひ奥まで歩いてみたい。
先ほどの工場の人の返事が「とにかく相当に広いですよ。」だったのがうなずける奥深さだ。

工房横の小道。

正月用に買った酒は薦められるままに「冬は酒」、「純米吟醸酒」と「純米しぼりたて」。
バイクに括りつけて行くと言うとそれぞれをしっかりした箱に入れてくれた。

「純米しぼりたて」は今年の新米新酒の一番しぼりで季節限定の生酒。
蔵元のここでしか入手できない原酒だとか。そう言うのに弱いので買ったのだが、封を切ったら早めに飲んで欲しいと言われ写真をとる間もなく空になり壜も処分してしまった。

少し甘口だったが、素直でスッキリした味わいだった。食前酒にしてもいいかもしれない。
「冬は酒」は熱燗にしても嫌味な芳りが出ず、かといって風味が失われることもなっく、熱燗好きの我が家には嬉しい酒だった。かすかに残る木の香りが好みに合っていた。

「純米吟醸酒」は原料に雄町とY錦を使っている。冷やで飲んでいるが口の中で立ち上がる上品な香りと、喉を過ぎてもなおシンとくる強さがある。

「冬は酒」と「純米吟醸酒」。真ん中は空凾。

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