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  2013年4月:台北
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鼎泰豊中正記念堂二二八和平公園国立台湾博物館台湾省城隍廟

【4月27日(土)】二二八和平公園

中正記念公園から東門(景福門)の前を歩きながら総統府を眺める。

景福門。

総統府は日本統治時代、第四代の台湾総督児玉源太郎の命で長野宇平治と森山松之助によって設計され1919(大正8)年に年完成した赤煉瓦5階建ての建物。日本降伏以降は台湾総統府として利用されている。

瀟洒な赤煉瓦造りの総統府。

総統府の前から二二八和平公園に回ると向かい側にあるのがこれも赤煉瓦の台北大学付属病院。こちらは近藤十郎による設計で1912(明治45)年に建てられた建物。

台北大学付属病院。

二二八平和公園へ。
前身は日本統治時代に作られた台湾初のヨーロッパ風近代都市公園で、1908(明治41)年に完成した「台北新公園」。

1996年に当時の陳水扁台北市長によって、二二八事件の中心地の一つだった公園内に事件の犠牲者を追悼する「二二八和平記念碑」が建てられ、公園の名前も「二二八和平公園」と改められた。

二二八和平記念碑。

和平記念碑の階段正面に円形の真鍮に刻まれた記念碑碑文が設置してある。

二二八和平記念碑碑文

1945年日本戰敗投降,消息傳來,萬民歡騰,慶幸脫離不公不義之殖民統治。讵料台灣行政長官陳儀,肩負接收治台重任,卻不谙民情,施政偏頗,歧視台民,加以官紀敗壞,産銷失調,物價飛漲,失業嚴重,民衆不滿情緒瀕于沸點。
1947年2月27日,專賣局人員于台北市延平北路查緝私淤,打傷女販,誤殺路人,激起民憤。次日,台北群衆遊行示威,前往長官公署請求懲凶,不意竟遭槍擊,死傷數人,由是點燃全面抗爭怒火。爲解決爭端與消除積怨,各地士紳組成事件處理委員會,居中協調,並提出政治改革要求。
不料,陳儀颟顸剛愎,壹面協調,壹面以士紳爲奸匪叛徒,迳向南京請兵。國民政府主席蔣中正聞報,即派兵來台。3月8日,二十壹師在師長劉雨卿指揮下登陸基隆。10日,全台戒嚴。警備總司令部參謀長柯遠芬、基隆要塞司令史宏熹、高雄要塞司令彭孟緝及憲兵團長張慕陶等人,在鎮壓清鄉時,株連無辜,數月之間,死傷、失蹤者數以萬計,其中以基隆、台北、嘉義、高雄最爲慘重,事稱二二八事件。
斯後近半世紀,台灣長期戒嚴,朝野襟若寒蟬,莫敢觸及此壹禁忌。然冤屈郁積,終須宣泄,省籍猜忌與統獨爭議,尤屬隱憂。1987年解嚴後,各界深感沈疴不治,安和難期,乃有二二八事件之調查研究,國家元首之致歉,受難者與其家屬之補償,以及紀念碑之建立。療愈社會巨創,有賴全民共盡心力。勒石隽文,旨在告慰亡者在天之靈,平撫受難者及其家屬悲憤之情,並警示國人,引爲殷鑒。自今而後,無分妳我,凝爲壹體,互助以愛,相待以誠,化仇恨于無形,肇和平于永恒。天佑寶島,萬古長青。

財團法人二二八事件紀念基金會 謹立
中華民国八十六年二月二十八日

碑文の大意はこんなところだろうか。

◆ ◆ ◆

1945年、日本敗戦の知らせに万民が狂気し植民地からの解放を喜んだ。しかし台湾行政長官となった陳儀(外省人/中国大陸人)による施政は不公平で、(本省人/台湾人の)差別、役人(外省人)の腐敗、物価の高騰、深刻な失業等で民衆の不満は高まるばかりだった。

1947年2月27日、専売局員(外省人)が台北市延平北路で闇タバコを売っていた本省人女性を検挙・殴打、誤って無関係の市民を殺すに及び民衆の怒りを呼び引き起こす。翌日、台北の群衆がデモ行進し長官公館に抗議に向かうが官憲(外省人)側はこれに発砲、多数の死傷者が出て(本省人と外省人の)全面抗争に発展する。台湾各地の指導者達は事件処理委員会を組織し協調してこれに抗議、大規模な抗議行動を開始した。

陳儀のやり口は面従腹背、本省人に対話の姿勢を見せるも、一方で大陸に派兵を要請、中央政府主席蒋中正は即時台湾に派兵、3月8日、第21師団師団長劉雨卿指揮のもと基隆に上陸する。10日、台湾全土に戒厳令を敷く。警備総司令部参謀長柯遠芬、基隆要塞司令官史宏熹、高雄要塞司令官彭孟及び憲兵団長張慕陶などが鎮圧に動く。その間数ヶ月、無実の人達を巻き添えにした死傷者、行方不明者は数万に及ぶ。基隆、台北、嘉義、高雄が悲惨を極めた。この動乱を二二八事件という。

この後、半世紀にわたり台湾は長期の戒厳令下に置かれ、民衆の思いは弾圧下におかれた。しかし何れ民衆の思いは現れる。1987年、戒厳令は解除されるも残された傷跡は深く残った。二二八事件の調査研究が続き、国家元首がこの事件に遺憾の意を表明し、被災者とその家族への補償と記念碑が建設された(以下省略)。

◆ ◆ ◆

二二八事件についてはWikipediaに詳しく書かれている。

公園の南外れの「和平鐘」は台湾ライオンズ・クラブが同クラブの理念の元、建てた記念の鐘。

和平鐘。

公園の南東角にある旧台湾放送協会 (THK) 台北支局の建物、今は二二八事件の全容を記録し後世に伝えるためのの「二二八和平記念館」になっている。入館料20NT$(66円)。

二二八和平記念館。

1階展示室の一部。

館内の円筒形展示室に唯一展示されている木彫にタイトルがないが、円筒形の部屋に「受難曲」と書かれているのでこの木彫のタイトルかもしれない。

等身大の彫像には鬼気迫るものがある。作者は石振雄、1959年、台湾南投生まれ。二二八事件で受けた女性の艱難とそれをはね返す強さを現したかったと説明してあった。

「受難曲」

2階展示室の一部。

重い展示を見学してくたびれたので記念館の隣にあるカフェで休憩。

記念館隣のカフェ。

カフェ・ラテ。109NT$(360円)。

公園内を台湾博物館に向かう途中、池の中に建つ典型的な中国建造物に出会った。暑さが厳しい夏に涼をとるために建てられ市民の憩いの場になっているという涼亭と樓閣だ。

涼亭(左)と樓閣(中央)。

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