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  2010年8月:ホーチミン
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カオダイ寺院クチ・トンネル

【8月23日(月)】クチ・トンネル

カオダイ寺院を出て間もなくの所で昼食。
オーストラリアからのカップル、ドイツからの若い女性、アメリカからの女性二人連れと同席する。他にソウルからの若いカップルと香港かシンガポールからと思われる三人連れがそれぞれ別のテーブルに着いているのが面白い。

昼食時のテーブル。

ミックススープ85,000VND(約425円)と333ビール15,200VND(約63円)を注文。アルミの小鍋で出てきたミックススープは大ハズレ。味が薄く野菜も香りがない。

大ハズレのミックススープ。

1時30分、食堂発。

バスが走り出して間もなく、隣のシートに座った女性が連れの女性と話をしているのが耳に入った。どうやらアメリカの小学校だか中学校だかの先生達のようだ。彼女が持ってきたカメラの電池が切れてしまって撮影できなくなってしまったということらしい。声をかけてカメラのメーカーを聞くとキヤノンだと言ってカメラを見せてくれた。

予備のカメラとして持参しているIXY 900ISの電池が使えないか試してみるようにとスペア―の電池を勧めたが、サイズが違って入らない。ガッカリしながらカメラをバッグに入れる彼女をを見ていて思いついた。IXY 900ISからSDカード(記録メディア)を抜いてカメラごと貸してあげれば好いんだ。これを提案すると彼女(あとでJasmineと名乗ったが)もその友人も大喜び。大変に感謝された。

何故カメラを二台持っているのか、何故予備のバッテリーを持っているのかJasmineさんがしつこく聞いてくるので、旅行中に『マーフィーの法則に出会いたくないからね』と言っておいた。

走るほどにどんどん緑が濃くなり、やがて国営の広いゴム園が延々と続く地域を抜けていく。

延々と続くゴム園。

2時45分頃にクチ(Cu Chi)のベンディン(Ben Dinh)・トンネルに到着。入場料80,000VND(約400円)は自己負担。
クチには1960年12月に結成された南ベトナム解放民族戦線が南ベトナム・米・韓国軍と戦ったベンディンとベンユオック(Ben Duoc)の二つのトンネルが保存されている。

ベンディン・トンネル入場券売り場前の駐車場。

胸元に貼ったツアーとトンネル見学ワッペン。

入場券を買ってゲートを入ると整備された公園のようだ。この奥にトンネルがあるのだろうか。

ゲートを入ったところは整備された公園のよう。

公園の奥から暗く長いトンネルに入る。途中で入場券をチェックするゲートがあった。

クチトンネル入場券は4枚セット。

このトンネルは入場券売り場前の駐車場と道路を横切ってベトナム戦争時のトンネルがある地域に抜けるものだった。

ベトナム戦争時のトンネルがある地域に向かうトンネル。

トンネルツアーに出る前にツアーガイド氏がビデオテレビと地図を使って、解放戦線の戦いぶりとベンディン・トンネルの構造について説明してくれた。

トンネルツアー前のレクチャー。

いよいよ林に入ってゆく。『トンネルの入り口が分かるか?』とガイド氏。教えられるまで全く分からなかったが、落ち葉がのった蓋をずらすと人が一人やっと通れるくらいの穴が出てきた。

言われないと分からないトンネル入り口。

解放戦線が仕掛けた落とし穴。

観光用に整備されたトンネル入り口と奥に続く塹壕跡。

ここからは今日のツアーガイド、1947年生まれのTungさんの独壇場になった。解放軍のトンネルの話を聞くうちに彼がこのベンディン・トンネルで米軍と戦った解放戦線の生き残りだということが分かった。
アメリカに対する今の気持ちを聞くと『あれは戦争だった。今は平和になって良かったと思ってる。』という返事。

解放軍女性戦士の人形。

ツアーガイドTungさん。

地雷で破壊された米軍の戦車。

再現された広い地下作業所には、米軍から接収した爆弾を解体して火薬を取り出し、コーラなどの空き缶を使って手榴弾を作ったという様子が展示されている。

爆弾解体作業を再現した人形。

車のタイヤを流用して作ったサンダル、ベトコンサンダルの製造・即売所の前で、かつて日本でも流行った時期があったのをかすかに思い出した。

ベトコンサンダルの製造・即売所。

希望者だけ実際のトンネルに入る。入り口は手摺りと階段がつき整備されているが土のまま。

トンネルへの入り口。

トンネル内は思っていたよりも狭く四つん這いにならないと先に進めない。背中のデイパックが天井に当たって進みにくい。両肩が壁にこすれる。先に進むのは結構しんどかった。
ほんの短い距離だが真っ暗な中を手探りで進む所があり、チョット不安になる。ゴソゴソと進むと先の方が仄かに明るい。所々に設けられた照明だ。トンネルの土は突き固めたかのように硬くしっかりしていた。
トンネル全体は地下3m、6m、8mの三層に作られ司令官室、作戦会議室、台所、寝室から病院まで整っていたようだ。

トンネルの土は想像以上に硬かった。

トンネルの内部はどちらに進めば出口にたどり着くのか、ツアーからはぐれたら出られなくなるのではないか、と心細くなるくらい幾つにも枝分かれしている。

突き当たりには更に下の層への入り口がある。

出口でホッと一安心。

トンネルを出てから両肩がヒリヒリするのに気づいた。見ると赤く擦りむいている。
トンネル見学の最後にテントが張られた休憩所で、南ベトナム解放民族戦線軍の兵士達が食べていたタロイモの一種、コアイ・ミーがお茶と一緒に出された。コアイ・ミーは灰汁が強いので、時間をかけて水でさらさないと食べられないそうだ。一切れ食べてみたが決して美味しい食べ物ではなかった。

手前の皿にふかしたコアイ・ミーが入っている。

これがコアイ・ミー。

このトンネルは昨日見てきた戦争証跡博物館とセットで見学するといいかもしれない。

4時半ころベンディン・トンネルを後にホーチミンに向かう。途中、5時頃になってスコール。
仕事を終えて帰宅する人達が乗るバイクのラッシュアワーに出会う。想像以上のバイクの数だ。ホーチミンとその周辺を結ぶ公共交通機関がバスしかないことと、車よりも入手しやすいバイクの普及がバイクラッシュの要因だろう。
車が走っていても少しでも車と車の間に隙間があると、バイクの身軽さでどんどん入り込み、渋滞がますますひどくなる。

バイクに囲まれる車。

それでも6時過ぎにはディダム(De Tham)通りの旅行代理店、シン・カフェ(Sinh Cafe)前に到着した。雨はますます強くなってきた。今朝出発したファングーラオ通りとは違う所、それも暗くなってから雨の中でバスから下ろされたのだ。
この辺りを前もって歩いておいて好かった。お陰で、土地勘が無く傘を差しながら地図を見てうろつくことにならくて済んだ。ホテルまで5分足らずだ。

ホテルに戻って一休みしてから、夕食に出る。
もう何度も立ち寄っている旅行会社Lac Hong Tourの前を通りかかると中から声をかけてきた。こういう気さくなところが好い。もっともこの辺りの店はどこもドアなど無いのだから、内から道路を見ていれば通りかかる人が見えるのだ。今朝いたNgaさんは早番で、今はThuy Duongさんが閉店の10時半までデスクに着いている。

Thuy Duongさん。

今日のツアーの感想を話しながら、この先にあるPho屋「Pho Quynh(フォー・クイン)」の評判を聞いてみた。この店は南方系のスープで本来の北の味ではないのでThuyさんは好きではないという。勧められる店はここからかなり遠方なので教えるのが難しくて、と申し訳なさそうだった。フォー・クインの味も好みによるので一度試してはどうかとフォローしてくれた。

フォングーラオ通りとドークアンタウ通りの角にあるフォー・クインは、いつその前を通っても客がいる。期待してもいいのかも知れない。

客足が絶えないフォー・クイン。

店員も外国人旅行者に慣れた風で、ドアもない店内に入ると席を勧めてメニューを持ってきた。選んでいる間にトッピングの香菜類が山盛りの皿を置いて行く。ビーフシチュー風のフォー30,000VND(約150円)とTiger Beer小瓶15,000VND(約75円)の夕食は値段もだが味も悪くなかった。

担々麺に似た味付けのフォー。

食べ終わる頃になって、レジの隣にバケットのようなパンが透明ケースにきれいに積んであるのに気づいた。少し食べ足りなかったのでパンを一つ持ってきてもらった。何とこのパンが驚きだった。周りはパリン、中がフワッ。このパンを追加してお腹には丁度いい量になった。パンは一個3,000VND(約15円)。〆て48,000VND(約240円)。

レジ隣に積まれたパンが目に入った。

雨は上がりはじめる。
ホテル前の屋台で1.5L入りの水を買う。7,000VND(35円)。
部屋に戻って写真の整理やメールのチェックをはじめたが、二口ほど呑んだバナナワインが効いてきたのか眠くなってしまった。

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