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  2007年8月:北京
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【8月3日】 九門小吃

7時起床。

昨日もそうだったが隣の部屋の宿泊客と廊下を挟んだ真ん前の部屋の宿泊客とが家族らしく、ドアを開けっ放しにして早朝から大声でおしゃべり。

そのうえ子供も大声で廊下を走り回る。ゆっくり寝てもいられない。折角の家族旅行なのだろうと思って声をかけずに我慢している。

9時朝食。

10時にSさんと落ち合うためにタクシーで王府井の「華僑大厦 (Prime Hotel)」に向かう。
酷い渋滞で30分も遅れてしまった。Sさんにはそのままタクシーに同乗してもらい、会議が予定されている雍和宮近くのCECIに急ぐ。

CECI (Chinese Electronics Standardization Institute/中国電子技術標準化研究所/NITSの関連機関) の6階に上がってゆくとドアが開いた会議室から聞き覚えのあるC社の新井さんの声がしてきた。その部屋の前を通るときにチラリと新井さんの姿が見えた。超ニアミスだ。

王立建さんは7階の大きな会議室で私たちを待っていてくれた。

王さんの紹介で王さんの上司に当たるCESIの所長胡燕さんにも挨拶できた。47歳という若さで所長を務める女史は怜悧な印象の方背の高いだった。

挨拶をすませて早速王さん、代さんと要談に入り大筋でこちらの希望を了承してもらうことができSさんもホッとした様子。

昼食は王さんの運転で后海の伝統的な北京家庭料理の店「九門小吃」に案内してもらった。

近くには中国四大家族(蒋介石・宋子文・孔祥熙・陳果夫)の一つ、宗家の三姉妹の次姉、慶齢(孫文夫人。長姉は靄齢、中国四大家族の孔祥熙夫人、末妹は美齢、蒋介石夫人)が晩年を過ごした住まいを記念館として公開している「宋慶齢故居」がある。

この「宋慶齢故居」はラストエンペラー溥儀の父、醇親王の王府でもあった所だ。

「宋慶齢故居」の前から眺めた后海。

后海沿いの看板「九門小吃」を目印に孝友胡同に入ってゆくと細い道の両側に観光客相手の物売りが建っている。

中国の飴細工屋さん。日本の飴細工屋さんに比べると飴の舞台が小振りだ。

更に進むと壁に「九門小吃」の看板が目に飛び込んでくる。
看板が掛かっている塀の真ん前の四合院が老舗小吃屋12軒が集まったレストラン「九門小吃」だ。

「九門小吃」への入り口はこの看板の真向かいの建物にある。

四合院の門を入ると正面に火山岩を積んだ石塔と鳥かごの九官鳥の出迎えを受ける。

四合院の中庭に据えられた石塔と左右に九官鳥の籠が見える。

門の左隅では似顔人形師がその場でそっくりさん人形を作ってくれる。似顔絵描きは良く見かけるが人形というのは初めて見た。

似顔人形師のテーブルには「現場塑像」と書かれた小さな看板がのっている。

北京の地下鉄2号線に重なる内城に正陽門、崇文門、朝暘門、東直門、安定門、徳勝門、西直門、阜成門、宣武門の9つの門があることから、北京の伝統料理が「九門小吃」と呼ばれるようになったらしい。

九つの門のうち、今も正陽門と徳勝門の二門が残っている。

2008年の北京オリンピックを控えて市の再開発による立ち退きで前門の門框胡同にあった老舗小吃屋12軒が2006年7月から「九門小吃」に集まって営業することになったそうだ。

入り口を入いると「糖胡芦(さんざし飴)」などのお菓子を売る屋台があり、左手は二人掛けのテーブルが並ぶ廊下になっている。

二人掛けのテーブルが並ぶ廊下。

更に奥に進むと小吃を買うためのプリペイドカードを扱うカンターと雑然と並ぶテーブル席がある。

雑然としたテーブル席。

店内には「張一元」、「茶湯李」、「月盛斎」、「年糕銭」、「恩元居」、「羊頭馬」、「豆腐脳」、「爆肚馮」そして「奶酪魏」の看板を掲げた小吃を売る店が並ぶ路地がある。

露地の入り口には「門框胡同」の金文字が並んでいる。

この露地を抜けて振り返ると鴨居の上に「門框胡同」の看板がある。

どの店の看板も同じ大きさで文字が浮き彫りされている。

店と言ってもカウンターに料理が並んでいるだけ。はてこれは何だったか?

どれも甘いので多分デザート。中にはおはぎのような歯触りのものもあった。

どの小吃も初めて口にするものばかり。なかでも「奶酪(宮廷ヨーグルト)」はヨーグルトと言うより超レアチーズといった風味でお勧めの一品だ。

私達が調達してきた小吃たち。椀に入った白いものが「奶酪」。

食後は王さんの車でCECIに戻り玄関前で王さん、代さんと別れる。Sさんも急に打ち合わせが入ったと言ってここで別れた。私たちはホテルに戻る。

ホテルの電話機の8(ローカル通話)と9(国際電話)が宿泊初日からずっと使えないのでオペーレーターに苦情。ラインが閉じていたので開きますと訳の分からないことを言ったが直ぐに使えるようになった。

予定が合わずに会えない任科くん、李翼さん、師鋒くんに電話を入れる。1日、2日と寝不足気味だったので昼寝。

5時半頃、再度王府井「華僑大厦」でSさんと合流後、ホテル前でタクシーを捕まえようとするのだが「華僑大厦」は王府井を抜けたところにあるせいかタクシーが来ない。

ホテル前の通りも客を乗せてはいけない規制があるようでたまに走ってくる空タクシーも止まってくれない。

中国美術館前まで移動してやっと捕まえる。

未だ一度も入ったことのない北京美術館。

タクシーを走らせながら楊さんと携帯電話で今夜の夕食の場所を相談したがなかなか決まらない。結局タクシー運転手(彼も于さんだった)のお勧めで西直門の「沸騰魚郷」に行くことにした。

四川料理だが洗練された味だった。カエル、ナマズ、鶏肉ほか野菜などなど。

洗練された四川料理が並んだ「沸騰魚郷」。

非常に美味しかったカエル。見た目は少しグロかな?

夕食後はSさんが身体をほぐしたいというので日本の健康ランド風の風呂を探してタクシーであちらこちら。

二カ所見たがピントこないと言うことで、最後は歌舞伎町の前で解散。
ここで別行動となったSさん、于くんと別れ、明日は朝が早いからと言う楊さんとも別れて一人でホテルに戻る。

タクシーの運転手は私の崇文門という発音を聞き取ってくれない。万怡酒店で何とか通じて発進。やれやれまたしても自信をなくした中国語の発音だった。

タクシーを降りてホテル前の屋台をやってるご夫婦に声をかけて部屋にはいる。

メールチェック、ソウルの崔さんからメールが来ていた。 ようやく彼も自分の会社を立ち上げたと久しぶりの連絡だった。

バスタブに湯を貼ってゆっくり腰を温めて12時にベッドにはいる。


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