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  2007年4月:北京
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【4月4日】 古城跡

何と目覚まし時計が5時に鳴った。

昨日天安門広場に国旗掲揚を見に行くためにセットしたままだった。
起き出してメールの処理をして8時までまたベッドに戻るも終始ウトウト。やむなく起き出してシャワーを浴びて目を覚ます。

一人で朝食に。
于くんは起きてこなかった。

10時半、ホテル移動のための荷造り。
12時、北京新世界万怡酒店をチェックアウト。

次の宿泊先『Solo II』にチェックイン。
個人が所有しているワンルームマンションをホテルのように日貸しているのだ。

利用した部屋のオーナーは未だ30代の半ばくらいの崔建峰さん。外国人の私は彼からパスポートの提示を求められた。こちらには関係のない書類にパスポートを見ながら何か記入していた。

『Solo II』は北京新世界万怡酒店から徒歩5分の距離にあって一泊150元(約2,200円)、嘘みたいだ。
セキュリティもしっかりしていて部屋も清潔。私費で泊まるには申し分ない。部屋には市内通話無料の一般固定電話と使い放題のインターネット回線も引かれている。おまけに真新しいDVDプレーヤーもあった。

部屋に入ってインターネット接続の設定に手間取っている于くんを待っている間に1時過ぎになってしまった。

1時に崇文門駅で李さんと待ち合わせをしていたことを思いだしたがすっかり待たせてしまった。
慌てて電話を入れ駅まで向かった。

もう一人の李さんも合流して于くんとの4人で『三六三酒桜』の真向かいにある『南国居』に入り賑やかに昼食。
昼食後は新世界商場で李さんの買い物につきあい、例によって時間まで昼寝。5時半過ぎに崇文門駅前で李さんと別れ部屋に戻る。

Jackに電話すると新しい仕事についているのでオフィスまで遊びに来いと明るい声だ。

崇文門駅から1時間くらい、下車駅の古城路A出口で時間を見計らって待っているというので直ぐに部屋を出た。
予定より少し早い7時15分に駅に着いた。

しばらく待っていたが姿が見えないので駅入り口前にある売店で電話を借りようとしたら、声だけではなく表情もすっかり明るくなったJackが現れた。

彼に初めてあったのは2003年10月、天安門広場にある中国歴史博物館で開かれていた展示会会場でだから3年半になる。彼の仕事もその頃とはずいぶん変わったものだ。

生命保険会社の営業をしているときが一番辛そうだった。

師鋒(Shifeng)くんと二人の若いスタッフ。

古城跡駅から更にバスで2駅。
メインストリートに面したビルの2階が彼のオフィスだ。若いスタッフと三人で仕事をしていた。オフィスは五環路の外になる。

新しい仕事はこれからますます需要が高まると見込んだWebでオートグラフ(署名用のサイン)のデザインを請け負う『北京凌飛籤名設計中心』だ。

Jackは日本市場の可能性を知りたがったが、日本人の何割がオートグラフを必要としているのか、彼の役に立つ情報の持ち合わせは無い。

果たしてどのくらいのビジネスサイズなのかは分からないが彼が成功することを願うばかりだ。

8時に仕事終えた彼らと近くのレストラン『大鴨梨』で夕食をともにする。
家庭料理の店だと言う酒が入って大声で議論しているテーブルもある。お焦げ料理と豆腐と青菜のスープは今まで食べたことがないもので美味しかった。食べるのに夢中で下の2枚しか写真を撮れなかった。

左は鴨のレバー、右は中国ハムのようなもの。

『大鴨梨』。

9時過ぎに店を出て帰路につく。
店の外に出るとあれほど昼間は暖かかったのに夜はかなり冷え込む。

Jackとは地下鉄で復興門まで一緒だが、よほど疲れているのだろう崇文門まで送ると言いながら電車に乗って座席に着くと直ぐに寝込んでしまった。復興門で下車する彼を起こして再会を約束して分かれた。

Solo IIに戻りブログをアップデートして12時に就寝。


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