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  2003年10月:北京
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【10月18日】天安門前広場

ホテルのチェックアウトタイムが12時というのはありがたい。

荷物をホテルの部屋においたまま一人で天安門に向かう。
地下鉄の崇文門駅で天安門西駅までのキップを買う。3元(約40円)だ。崇文門駅は薄暗くキップは出札口で行き先を告げて買う。自動券売機は見当たらなかった。ここから環状線で建国門駅まで行き、1号線に乗り換えて天安門西駅で降りる。

薄暗く客もまばらな崇文門駅の出札口。

改札口には女性の改札係がキップを手でちぎっている。
キップを記念に欲しいといったら角の方を少しだけちぎって返してくれた。子供の頃に乗った都電のキップがこのキップと同じように薄い紙製だった。上海の地下鉄のキップが磁気カードだったのでキップの違いから北京の地下鉄は駅も含めて旧式なんだろうと思いながらホームに続く階段を降りた。

北京の地下鉄乗車券。

ホームに降りてみると出札口の辺りよりズット明るく、上海の地下鉄のホームと変リがない。天井も床も柱も古びた感じがなく清潔な印象だ。

ラッシュアワーが過ぎたからか人が少ない崇文門駅ホーム。

ホームに車両が入って来たら柱の陰に隠れて見えなかった乗客が姿を現わしドアに向かう。決して並ばないのが中国流だが、ラッシュアワーはどんな様子なのだろう?

北京の地下鉄車両は窓の周りをブルーに塗ったクリーム色。

吊り革が無いので見通しがいい車内は天井近くの両側に広告が貼ってある。化粧品や携帯電話、インターネットサービスプロバイダーなどの広告が眼に着いた。

時間帯のせいなのか乗客の平均年齢は少し高めに見えた。

天安門西駅で地下鉄を降りて地下道を天安門側に渡る。
東京と較べているからよけいに感じるのかもしれないが、広い地下道は人が少なく何となく無気味。この地下道の上を天安門前の大道リ西長安街が横切っている。

大きな道路を横断する地下道は広い幅だが通る人が少ない。

地下道の左右所々に設けられた電飾ポスターが明るく通路を照らしている。
ここにこれだけの数の電飾があるということは時間帯によってはかなりの数の人が地下道を利用するということなのだろう。

電飾ポスターの一つ。地下道の両側に何ケ所も設置されていた。

地下道の突き当たりで階段を上ると頭の上は青空だ。歩道もずいぶん広い。
前方に見える人の群れの辺りが天安門だろうか。車道には観光バスが何台も並んで停車している。

この出口には屋根が無い。見慣れないから変な感じだ。

天安門は北京の中心といわれている。北京の中心ということは中国の中心ということになる。門の正面は記念撮影をする人が途切れない。中国の中心目指して中国全土から見学に来ているのかもしれない。



天安門の奥が故宮博物院。残念だが今回は時間が無いのでパス。

天安門を背にすると前は広い道路長安街を挟んで天安門広場だ。
右端の赤い旗の奥に人民大会堂が、左の高い照明灯の右横に人民英雄記念碑が見える。中央は道路の真ん中で、屋根付きの交通整理台で警察官の影が見える。

この長安街を渡って天安門広場に行くには地下道を利用しなければならない。

天安門東駅に通じる地下道を通って天安門広場に出る。この広場を一回りりしようか、それにしても広すぎるな、などと思案していると若い男女二人連れに中国語で話しかけられた。

人民大会堂と人民英雄記念碑。

何も持っていないので物売りではなさそうだが何を言っているのか分らない。
試しに英語で中国語は分らないと告げると「中国人かと思ったものですから失礼しました。今、何時ですか?」と上手な英語が返って来た。(嘘だろう、今まで一度も中国人に間違えられたことは無いゾ。)急に警戒心が強くなった。

警戒しながらも話を聞いてみると彼等は北京教師専修学院の生徒で、この広場に隣接した中国歴史博物館で展示会をしているのだと言う。

中国の伝統的な絵を勉強しているらしい。時間があったらぜひ作品を見て欲しいのだと言う。1時間くらいならいいだろうと思って会場に案内してもらった。

中国歴史博物館の前で。星辰(Xingchen)君と暁岩(Xiaoyan)さん。

会場に展示されている作品は水墨画をはじめ全て古典画法によるものだった。さほど広くない会場に壁が見えないほど展示された作品は撮影禁止だそうで写すことができなかった。

作品を買ってくれないかと言うのが私に声をかけた本音のようだった。何でも会場を借りる費用も出ない状況で作品を売ってまかなおうとしているのだと事情を打ち明けてくれた。

協力してあげたいがあいにく持ち合わせもないし、好みに合わない作品を買ってもしようがないので丁寧に断った。

会場を出る時になって、展示会の責任者をしているという彼等の先輩、師鋒(Shifeng)さんがA4判を縦に2枚つなげたくらいの半紙に私の姓名を墨書しケースに入れてプレゼントしてくれた。

師鋒さんの書。

申し訳ない気持ちを残しながら中国歴史博物館を出て長安街に向かう。

歴史博物館に並んでいる中国革命博物館の回廊で20人くらいの一隊が拳銃を構える訓練をしている。博物館を警備する軍人なのだろうか、街中で拳銃を構える姿を目の当たりにして社会の違いを実感した。

訓練とは言えギョッとさせられた光景だ。

東長安街をさらに東に向かって歩く。王府井大街にも行ってみたいがそろそろホテル目指して戻らなければならない時間だ。ワンブロックが地図で見るよりもずっと広いのだ。

東長安街のこの辺りは大きなビルが並ぶ。王府井大街はこの左手奥になる。

王府井駅前を右に折れて台基厰大街に入る。この道をまっすぐ往けば崇文門西大街にぶつかる。

台基厰大街で見かけた公衆電話。

ようやく今日の出発点、崇文門駅まで戻って来た。

チェックアウトまでにあまり時間がないが、昨夜眼をつけておいた北京新世界万怡酒店からさほど遠くない所にある中華料理店「南国居」に直行する。

この辺りを歩いている時にお祝か何かで集って来た人達がまとまってこの店に入って行くのを見かけたので、多分いい店なのだろうと検討をつけ昼食はここにしようと決めていた。

ホテルからさほど遠くない崇文門外大街を入ったところで見つけた「南国居」。

お昼時間には間があるせいか店内は客が少ない。中国語だけのメニューから日本でも見たことのある字を見つけて麻婆豆腐と青椒牛肉絲、それにビールを頼んだ。

店内は外から見るよりもずっと広く明るくて清潔だった。

麻婆豆腐は中国山椒をたっぷり使った濃い味付けで口の中がヒリーッとする。赤坂の四川火鍋屋の麻婆豆腐とほぼ同じ味だった。ビールが軽いタッチの中国製だったのでヒリーッにはちょうど良かった。

青椒牛肉絲も塩味だがこってりとした味付けだ。それにしてもこの量はとても一人で食べきれる量ではない。半分にするので精一杯だった。

これで32元(約400円)。もちろんビール代も含めてだ。

食べ過ぎたお腹でホテルに戻りチェックアウトしてホテル前でタクシーに乗る。
運転手に行く先の北京国際空港国際線搭乗口を告げるのだが全くチンプンカンプンだ。フロントまで運転手を連れていき行く先を伝えてもらった。

北京のタクシーは独り客を前の席にのせることが多いようだ。
目の前のダッシュボードにのっているタクシー免許証に孔繁昌とあった。こちらが中国語が分らないのを承知しているはずなのにしきりに話しかけてくる。

自分は孔子の子孫だがお前は孔子を知っているか、というようなことを話しているようだった。空港に到着するまで信号で停まる度に筆談が続いた。

孔子の子孫だと言う孔繁昌さん。似てるのかな?

今回の北京訪問は、わずかな時間でも市の中心部を歩くことができた。
北京の地図を見るとまだまだ見学する所は山ほどある。仕事抜きで再訪問したい。


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