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ハーバー旧市街お濠ワット・ダップ・パイワット・パー・ボン
ワット・プラ・シンスアン・プルン門ワット・ムーン・グン・コーン

【8月16日(金)】ワット・プラ・シン(Wat Phrasingh)

イントラワロロット通り(Intrawarorot Road)を横切り、シンハラ路がサム・ラン(Sam Lan)路と名前を変えるちょうどその右角、赤いソンテウ(乗り合いタクシー)が並んでいる白い塀がチェンマイで最も格式が高いと言われる寺院、ワット・プラ・シン(Wat Phrasingh)だ。

正門はトノン・ラチャダムン通り(Thonon Rachadamnoen Alley/手前)に向いている。

門の横に建つドッシリとした黒御影石の門札。

黒御影石の門札。

ラーンナー王朝・五代目パー・ユー王が父の遺骨を埋葬するために1345年に建立したとされる寺院。

本堂。

本堂の前に建つのはチェンマイの守護聖人クルバ・スリウィチャイ(Kruba Srivichai)の像。

クルバ・スリウィチャイ像。

クルバ・スリチャイ像の後ろに建つ石碑には以下のような説明がある。


WAT PRA SINGH VORAMAHAVIHARA

Wat Pra Singh, formerly called Wat Lee Chiang, has been an important Wat of Chiang Mai for 700 years. It was constructed by King Phayoo of Mengrai dynasty. When King Saen Muang Ma was reining the Lanna Thai kingdom Pra Buddhasihing, one of most renown Buddha images was taken from Kampaengpet to Chiang Mai by King Mahaprom to present to the Chiang Mai King. It so happened that the chariot carrying the image broke down at this spot and the Buddha image was consequently installed in this wat. Because of this incident, Wat Lee Chiang becomes known as Wat Lee Chiang Pra and, later on, got the Present name of Wat Pra Singh.

In B.E. 2315 (1772 A.D.) this wat received a major reconstruction under the auspices of King Kavila. Beside Pra Singh, this wat has the other important Buddha image called Pra Thongtip cast in B.E. 2020 (1477 A.D.). It is of the early Chiang Saen style and craftsmanship and made of the alloy of gold and copper.

Wat Pra Singh was raised to the status of a royal wat (first class) under the royal patronage in B.E. 2483 (1941 A.D.).

Anusarn Chiengmai R.O.P.
Established A.D. 1882

『ワット・プラ・シン・ヴォラマハヴィハラ』はこの寺の正式名称で、碑文の大意はこんなところか。

『嘗て、ワット・リー・チャンと呼ばれたワット・プラ・シンは700年に及ぶチェンマイの重要な寺で、メンラーイ(Mengrai)王朝のパヤオ(Phayoo)王によって建立された。 セーン・ムアン・マ(Saen Muang Ma)王がラナー・タイ王朝プラ・ブッダシンを統治していた時、カンペエンプ(Kampaengpet)から非常に名高い仏像がマハプロン(Mahaprom)王によってチェンマイ王に献上されるためにチェンマイに運ばれてきた。仏像を運んでいた荷車がたまたまこの地で壊れ、仏像はこの寺に安置された。この事件のためにワット・リー・チャンはワット・リー・チャン・プラとして知られるようになり、後日、ワット・プラ・シンという名前で呼ばれるようになった。
仏暦2315(西暦1772)年、この寺はカビラ(Kavila)王の手によって大規模な修復工事を請けている。プラ・シンと並んで、仏暦2020(西暦1477)年に鋳造されたプラ・トンティプ(Pra Thongtip)と呼ばれる重要な仏像が安置された。それは初期チェン・セーン様式と技術によって金と銅の合金で作られた。
ワット・プラ・シンは仏暦2483(西暦1941)年に国王の庇護の元、その地位を国寺に引き上げられた。』

  • 調べてみると「メンラーイ」は歴史的な碑文には“Mengrai”ではなく、“Mangrai”と綴られているようだ。20世紀初めに歴史研究家が誤って“Mengrai”と記述したものが、そのまま広まってしまったらしい。
    この後、チェンマイ市内で訪問した歴史センターや文化センターの展示でも“Mengrai”と“Mangrai”の両方の表記があり統一されていなかった。

履き物を脱いで本堂に上がる。
正面右奥で座した僧侶の像の真ん中でジッとこちらを見ている僧がいる。視線が合ってしまい『ギクッ!』としたが近づくと2009年1月に亡くなったこの寺の前住職のファイバーグラス製の像だった。像の前の説明には僧侶として77年間を過ごしたとある。この僧の名前はタイ語で書かれていて読めず。

リアルな僧侶像。

本堂内中央に大きな仏像とその前に小振りな仏像群が安置されている。

本堂内。

本堂の右隣にはホー・トライ(Hor Trai)と呼ばれる下半分が石造り、上の半分が木造の建物があるが、これは教典庫。ケーオ王が建設したもので、現存の建物は1924年頃にケーオ・ナワラット王が再建したものだという。

ホー・トライ。

ホー・トライ裏に回って奥に進むと泥煉瓦が積まれたピラミッドと銅像がある。

泥煉瓦ピラミッド。

泥煉瓦を積み上げたピラミッドの前には以下の説明がある。

Maha Chedi and Ku of Phaya Kham Foo's ashes

This historic document mentions Phaya Pha Yoo (A.D. 1345 - 1355) ordered to construct a Chedi for containing Phaya Kham Foo's ashes, his father in 1345 A.D. Later in 1545 the Maha Chedi broken down and collapsed due to an earthquake. It was restored throughout the times, particularly in the period of Chao Kawila (A.D. 1781 - 1815), the first ruler of Chiang Mai. He had relics contained in this Chedi. However, in the north of an Ubosoth (an ordination hall), there is another small Chedi called at present Ku of Phaya Kham Foo's ashes. Until Khroo Ba Srivichai restored Pharasingh temple, and an urn's ashes with valuable associated finds were discovered. Still suspected that these various objects taken from where, the Maha Chedi or the Ku of Phaya Kham Foo's ashes. Unfortunately all objects were stolen in the time of the Second World War, Maha Asia Burapha in 1941 A.D.
At present, the Maha Chedi measures 50 meters high and situated a high unadorned square base; in each directions of its base has an elephant sculpture supported. Above it, triple round base support three superimposed receding circular mouldings, a round bell-shaped form and a seated throne for a circular tapering final with a decorated tiered-umbrella. This Maha Chedi, the principal structure of the temple is the one of significant style Chedi of Lanna art in Chiang Mai.

『マハ・チェディとパヤ・カーン・フーの遺灰の舎利塔』の説明の大意はこんなところか。

『この歴史的な文書は、パヤ・カーン・フーの遺灰を安置するために仏塔の建立を命ぜられた、その息子パヤ・パー・ユー(A.D. 1345 - 1355)について述べる。1545年末、マハ・チェディは地震によって崩壊したが、チェンマイの初代統治者チャオ・カウィラ(A.D. 1781 - 1815) の時代に修復された。彼は遺品をこの仏塔に保存していた。しかし、ウボソット(Ubosoth/聖職授任ホール)の北側に、今はパヤ・カーン・フーの遺灰の舎利塔と呼ばれる小さな仏塔がある。クルバ・スリチャイがファラシン寺を修復した時に、初めて高貴で関連性の高い遺品と一緒に壺に入った遺灰が発見された。これらの高貴な遺品はマハ・チェディあるいはパヤ・カーン・フーの遺灰の舎利塔から持ってこられたのだろうと推測されている。残念なことに全ての物は、1942年、マハ・アジア・ブラファの第二次世界大戦の時に盗まれてしまった。
現在のマハ・チェディは高さ50メートル、高い飾りのない四角い基台にあり、その四方を象の彫刻が支えている。その上は三重の円形基台が三重の後退した円形の粗造と丸い鐘の形、幾重にも重なった飾り傘の円錐端に向かう玉座とを支えている。このマハ・チェディ寺院の主要な構造はチェンマイのラナー芸術の重要なチェディ様式の一つである。』

泥煉瓦のピラミッドについては何も書かれていないが、歯切れの悪い説明文を意訳すれば、ここにパヤ・カーン・フーの遺灰の舎利塔があったのだろう。

泥煉瓦ピラミッドの右に建つのはチェンマイを建設したメンラーイ王の像。

メンラーイ王像。

像の横にある説明板にはこんな風に書かれている。

Biography of King Meng Rai the Great

King Meng Rai the Great was borne on Sunday December 1239. He passed away in 1311 at 72 years old.
So, he constructed Ciang Mai in 1296 and asked his friends, King Ngam Muang, King of Payao and King Roung or King Ram Kamhang, King of SuKhothai to be consultants until finishing. Then it was named as “Noppaburee Srinakonping Chiang Mai”

『メンラーイ大王の伝記』の説明板は一部意味不明だが…

『メンラーイ大王は、1239年12月の日曜日に生まれた。彼は1311年に72才で他界した。
彼は1296年にチェンマイを建設し、友人達のNgam Muang王、Payao王、Roung王あるいはスコータイのRam Kamhang王に、工事が終わるまで相談相手になって欲しいと依頼した。そして、それは“Noppaburee Srinakonping Chiang Mai”と名付けられた。』

泥煉瓦ピラミッドから見えるのは男僧用と女僧用の二つの入り口を持つウボソット(Ubosoth)。

ウボソット。右端が女僧用の出入り口。反対側に男僧用の出入り口がある。

ウボソットとは最も神聖な礼拝の間というような意味で、聖職授任式を執り行う広間でもある。広間中央には背の高い祭壇がある。

礼拝室と祭壇、僧侶の座像。

四人の僧侶はどんな謂われの方達なのか、座像の前の説明がタイ語のみで知る術は無し。

祭壇を守るように座す四人の僧呂。

僧侶達の背後安置されている鮮やかな緑色の仏像は、バンコクのワット・プラケオ(エメラルド寺院)に安置されているエメラルド仏のレプリカ。

エメラルド仏のレプリカ。

ウボソットの背後に三基の小型舎利塔(仏塔)を従えた高さ50メートルの大きな舎利塔(Phrathatluang/Chedi)がそびえている。その基壇の四面からは泥煉瓦ピラミッド前の説明板に書かれているように、象の上半身像が突き出ている。

大小の舎利塔。

大きな舎利塔の西側に回ると祭壇があり、その側におもしろい装置が設置してある。

舎利塔西側の祭壇。

この装置から大きな舎利塔の上の方にワイヤーロープが渡してあり、装置のハンドルを回すと長さ40cmほどの筒がワイヤーに沿って上って行く。舎利塔上部に上がった筒は中に入っている水を舎利塔に掛けるようになっている。
日本では墓石に水を掛けるがルーツは同じなのかもしれない。
この装置を使う人は近くに置いてある丼鉢に何がしかの喜捨をしていた。

舎利塔に水を掛ける装置。

舎利塔の南側に回るとチョコレート御殿のような雰囲気をした礼拝堂ビハーン・ライカームがある。この建物は1345年にファラシン像(この寺院の名前の由来になっているプラシン)を安置するために建立された古典的なラナー建築の好例で、内部の壁画も歴史的な価値のあるものとされている。

ビハーン・ライカームと舎利塔。右端にチラッとウボソットが見える。

舎利塔と本堂の間にウボソットが建っている。

ウボソットの南側。右端は本堂の屋根。

横から見た本堂。

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