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  2012年6月:園部・宍人
6月23日6月24日地図
園部城址摩気神社太郎兵衛の墓宍人城址・八幡宮九品寺

【6月23日(土)】太郎兵衛の墓

摩気神社を後にして寛さんに車で10分足らずの山中に案内された。我が祖を十代遡る小畠太郎兵衛の墓があるという墓地だ。そこは滅多に訪う人もないのだろう、崩れかけ苔むした十数基の墓石が方形に並んでいた。

方形に並ぶ古い墓石。

周囲を木立に囲まれた墓地の一番奧に比較的新しい墓石が一基建っている。『小畠家之墓』と刻まれている。

その左に建つ『小畠宜綏之墓 同室春子之墓』は父から一度もその存在を聞いたことのない曾祖父母の墓だ。
宜綏は天保3(1832)年11月18日生まれ、明治25(1892)年4月30日没。

曾祖父母の墓。

右手の墓誌には我が家と同じ家紋の柏車(六柏)とともに父の従兄弟筋に当たる人達の名が刻まれている。

家紋の六柏と、父には従兄弟に当たる人とその家族達。

寛さんに促されて一番手前の墓石に刻まれた文字を見ると『俗名 小畠太郎兵衛尉宜周』とある。ここが太郎兵衛の墓と呼ばれている場所なので、太郎兵衛の墓も墓所の中央にあるものと勝手に思い込んでいたががそうではなかった。

左端が太郎兵衛の墓。

これが元和4(1618)年、但馬出石から園部への移封が決まった小出吉親が、その居館(園部城)が完成するまで2年間逗留したという宍人城(小畠城)城主、太郎兵衛の墓なのだろうか。もしそうなら私から十代遡った人の墓石と言うことになる。

墓石の横に刻まれた太郎兵衛の字。

山側に並ぶ墓石の中央に『小畠太夫俗名十左衞門清原』と刻まれた墓石がある。太郎兵衛尉の息子、十左衛門の墓だ。元和9(1623)年に十左衛門は小出吉親の小姓になっている(平成13年度秋期特別展 初代藩主 小出吉親展 展示図録 園部文化博物館編より)。

十左衛門に続いて清原と彫られているのは小畠一族を山形まで遡ると清原姓を名乗っていたというから、そのことと関係があるのかも知れない。

十左衛門清原と刻まれているのがハッキリ読める。

墓地の全景。

動画中にチラリと写っているのは今回の園部訪問に際して町の史跡を案内してくださった寛さん。

園部城址摩気神社太郎兵衛の墓宍人城址・八幡宮九品寺

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