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  2012年6月:園部・宍人
6月23日6月24日地図
園部城址摩気神社太郎兵衛の墓宍人城址・八幡宮九品寺

【6月23日(土)】園部城址

京都駅で山陰本線快速電車に乗り換えて35分あまり。快速電車の終点園部駅に到着。自宅を出てから4時間15分。

園部駅到着ホーム。中央は園部駅発の福知山行き列車。

駅舎は改装されたばかりのようで未だ新しい。駅を出ると駅前は直ぐに濃い緑だ。

駅前広場と緑濃い小山。

駅前に商店などの商業施設はない。唯一、駅に接してビジネスホテルがあるばかり。静かな駅だ。

駅に接して建つビジネスホテル。

駅まで出迎えてくれた寛さんとの初対面の挨拶もそこそこに、早速寛さんの車で園部・宍人の史跡を案内していただく。

園部城址は但馬出石から園部へ移封された小出吉親が元和5(1619)年に築造した陣屋跡だ。小出氏は無城主格の外様大名であったために、この地に建てることができたのは天守閣を持たない陣屋だった。

巽櫓(左)と城門の櫓門。

幕末から明治初めにかけて京都で起きた池田屋事件・禁門の変などの騒乱や戊辰戦争などがきっかけで、園部は京都からも近く万が一の時には新政府側の要害の地になるという理由から、新政府は園部陣屋に櫓や城門を整備した城郭への改修を認めた。これを受けて、諸藩が廃城へ向かっていたこの時代に、園部陣屋はより守りの堅固な篭城戦にも耐えられる櫓を持った城へと大改造を行い園部城となる。

その後、明治政府も落ち着き、園部城は大改修後わずか4年(明治5年)でそのほとんどが取り壊されることになってしまった。この城が日本の城郭史の中で最後の城となった所以だ。

城の中心地は現在、京都府立園部高等学校の敷地になっており、櫓門が校門として利用されている。

園部高校の校門として利用されている櫓門。

実は櫓門のわずか200メートル先に立派な天守閣がある。
園部城址と間違えてしまいそうだが、こちらは南丹市国際交流会館とその隣に建つ市立文化博物館だ。手前の緑地には園部町の鳥「カワセミ」の像が建っている。

天守閣のような国際交流会館と、右側の低い建物が文化博物館。

園部城址摩気神社太郎兵衛の墓宍人城址・八幡宮九品寺

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