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  2007年6月:ソウル
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【6月1日】 ランチ・金浦国際空港

6時半起床。
荷造りをしてからシャワーを浴びて散歩に出る。清渓川の遊歩道を東に向かう。川に沿ってオガンスギョ(五間水橋)の上流は衣料品、履き物の問屋街が続いている。黄鶴橋の辺りにはペットショップが並んでいる。

もうお馴染みの清渓川。川の右側が東平和市場。

清渓川の真ん中に残る橋脚は川の上が高速道路だったときの名残か?

黄鶴橋で川の反対側に渡り細い道に入ってみた。その後再開発されて現在は「黄鶴洞ロッテキャッスルベネチア」になって一角の南側の細い露地を入っていくと、かすかに漂ってくる美味そうな匂いが、夕べの人混みを想像させてくれる。黄鶴洞ホルモン横丁だ。時間を作って夜もう一度来てみたいが今日は帰国しなければならない。

旨そうな匂いが残っている路地裏。

黄鶴洞ホルモン横丁の美味そうな匂いを後にして再び川沿いに庇雨堂橋までもどり、清渓川をオガンスギョまでたどる。

オガンスギョから西に一本目のボドゥル橋を渡ると真ん中に銀色に塗られた『ヂョン・テ・イル』の像が建っている。この場所とどんな縁があるのかは分からないが1960年代に労働者の地位向上に一命を捧げた人として有名な人だそうだ。

橋の中央に建つ『ヂョン・テ・イル』像。

ホテルに戻り荷造りを確認してから10時半頃チェックアウト。部屋からかけた電話代だけの請求だったので宿泊代も併せて領収書を発行してくれるように頼むと、領収書は代理店からもらってくれと言う。このときに初めてWebサイトでホテルを予約するときにクレジットカード番号を入力させられた意味が分かった。ホテル代は既にWebを経由して旅行代理店に支払われていることになっていたのだ。

地下鉄に乗りサンドルに帰国の挨拶に行く。

Lee Hoさんから、今日は社長とデザインチームが一緒に昼食を摂る日なので是非参加してくれというので遠慮なくついていく。入った店はオープンカフェのようで『スンデチゲ』の専門店だった。スンデは春雨や豚の血、もち米を豚の腸に詰めたものだがこれが初体験。臭みがなく食べやすく、見た目よりもずっと美味しい。

スンデチゲ。

食後に記念撮影。社長のセオクさんは会議があると言って先に帰った。

食後、サンドル社に戻る途中で、韓国のコメディアンと撮影舞台に出会う。彼と一緒に駅の入口でTVカメラを前にしてパフォーマンス。サンドルの人達にはずいぶん受けたようだ。一騒ぎした後に撮影クルーの一人にカメラを渡してサンドルの人たちと一緒に写真を撮ってもらった。帰国してからしばらくしてこの時のパフォーマンスが全韓国放映の番組で流されたとCha Gounさんが知らせてくれた。

セーラー服姿がコメディアン氏だがサンドルの人は誰も彼の名前を知らなかった。

サンドル社に戻ると営業の金さんがDVDに落とした今年の2月にソウルで開催されたフォーラムの記録をもって挨拶に来てくれた。そろそろ失礼して飛行場に向かう時間だ。玄関先まで見送ってくれたセオク社長、デザインチームの皆さんと挨拶を交わし、Lee Hoさんとは恵化駅でさよならする。

恵化駅から東大門運動場駅まで二駅、ここで5号線に乗り換え金浦国際空港駅に行く。地下鉄料金は恵化駅から金浦国際空港駅まで1,400Won(約190円)。丁度2時に地下鉄に乗り空港駅に着いたのが2時50分だった。

地下鉄金浦国際空港駅の改札口を出る。

金浦国際空港駅から空港までは動く歩道が長々と続く。

空港は時間帯のせいなのだろうか、ずいぶん空いている。直ぐにチェックイン。出国審査カウンターも殆ど人が並んでいない。

搭乗待合室の免税店前の格子窓が印象的だった。

帰りの便もジャンボだった。

金浦発 16:35 羽田着 18:40 KE6709便。
自宅には21時前に着いた。


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