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  2023年10月:高松
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城岬公園八栗寺栗林公園

【10月6日(金)晴】栗林公園

うどん屋でのランチ後は栗林公園に移動、東門で車から下ろしてもらい一人で公園を見学する。

栗林公園東門。

栗林公園は

案内図をクリックすると別ウインドーで拡大表示します。

公園の名前が栗林なのに松の木ばかりが目立つ園内。

商工奨励館前のヒマラヤ杉。

商工奨励館。

商工奨励館本館の二階にはジョージ ナカシマの作品が展示されている。

商工奨励館本館二階のジョージ ナカシマの作品群。

商工奨励館の前から左回りに南底を回る。

松が五本立っているが嘗ては6本あった「お手植松」。

お手植松。

これらの松を植えた人と時期は写真左から以下の通り。
 ・能久親王妃富子(北白川宮/1925[大正14] 年)
 ・エドワード8世(皇太子のとき/1922[大正11]年)
 ・雍仁親王(秩父宮/1914[大正3]年)
 ・昭和天皇 (1914[大正3]年)
四本目の松の右側に重なって見えるのが、
 ・宣仁親王(高松宮/1914[大正3]年)

説明板に『園内一美しい……』とある鶴亀松は110個の石を組んで模った亀の上で舞う鶴を現している。

鶴亀松。

箱松は箱の形をした松で長年の手入れの結果、屏風松とも呼ばれている。

箱松。

北湖。

北湖畔に建つ茶室は日暮亭。

日暮亭。

日暮亭から紫雲山に向かうと奇岩怪石を積み上げた会僊巌(かいせんがん)に出る。
ここから西湖対岸に見える崖に穿たれた窪みが見える。この窪みは爛柯石屋(らんかせきおく)と呼ばれ、代々の高松藩主が夏に涼をとるためにここで碁を楽しんだそうだ。

爛柯石屋。

西湖の睡蓮。

亀の影で見えた意外に浅い西湖の底。

嘗て前掲の日暮亭が建つ場所にあった「考槃亭」をここに移築「日暮亭」とした。後に園外の私人の手に渡るなど変遷を経て、1945(昭和20)年に再び園内に戻り「新日暮亭」として再生した。歴史的経緯を踏まえて現在は「旧日暮亭」としている。ややこしい。

旧日暮亭。

爛柯石屋の左手に落ちる細い滝は桶樋滝(おけどいのたき)でこれは西湖の水をポンプアップしている人工滝だそうだ。

桶樋滝。

涵翠池に回ると池の向こうに掬月亭の端正な姿が見える。

涵翠池と掬月亭。

涵翠池を覗いていたら池の主のような人面の鯉が上がってきた。

人面鯉。

掬月亭を回り込むと南湖に出る。

南湖。左奥に見える屋根は掬月亭。

南湖の奥、吹上まで進むと。

吹上からの偃月橋(えんげつきょう)。

吹上から小松亭の横を抜けると古理兵衛九重塔の前に出る。
この塔は初代藩主松平頼重が1647(天保4)年にお庭焼きとして京都から招いた紀太理兵衛が焼いたもの。

古理兵衛九重塔。

南庭を一巡して北庭へ。
芝生広場のはずれに松平頼壽像があるが、盆栽の興隆と普及に努めた人らしい。

松平頼壽像。

松平頼壽像の背後に広がる枯れた蓮池は芙蓉沼、奥に香風亭の屋根が見える。

芙蓉沼と香風亭。

芙蓉沼の東に広がるのが群鴨池でその先が東門に通じている。ここはその名の通り代々の藩主が鴨猟をした鴨場跡。

群鴨池。

東門前で待ち合わせたビルの車で彼の家まで戻り、恭子夫人の手料理で晩飯をご馳走になる。

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