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  2021年7月:青森
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土蔵のアトリエ美術館青森県立美術館・三内丸山遺跡

【7月24日(土)晴】青森県立美術館・三内丸山遺跡

新青森駅東口から「ルートバスねぶたん号」で県立美術館へ。

強い陽射しが注ぐ新青森駅東口ロータリー。

バスに揺られること10分、青森県立美術館前に到着。一緒にバスを降りた客はなし。

青森県立美術館。

美術館入り口までのアプローチの途中に「あおもり犬」への案内板が立っているので、そちらへ。

「あおもり犬」へはこの階段を降りる。

階段を降りて進むと美術館の裏手に出たようだ。
コンクリート製の階段室のようなものが唐突に建っている。白い看板のようなものが立て掛けてある。

怪しげな構造物は階段室か?

看板だと思ったのは案内板だった。この細い入り口を入ると「あおもり犬」に会える?

案内板には「連絡通路」とある。

非常階段のような鉄製の階段を降りて、建物と建物の間の路地のような隙間を入ってゆく。

何処に出るのかワクワクした空間。

路地を抜けるといきなり「あおもり犬(2005年/奈良美智/鉄筋コンクリート、GRCモルタル、フッ素樹脂塗装/850.0 x 670.0 x 900.0 cm)」とご対面だった。

青森県立美術館のシンボル「あもり犬」。

青森県立美術館で一番印象に残ったのが、美術館入り口の手前に立て掛けてあった「あおもり犬連絡通路」の案内板から「あおもり犬」までの道順と空間の意外性だった。

改めて美術館の正面入り口に戻り入館。

人が立っているドアが美術館正面入り口。

最初の展示室は「アルコホール」、縦・横21メートル、高さ19メートルの大きな空間だ。
ここにはアメリカの「バレー・シアター」の依頼でマルク・シャガールがバレー「アルコ」ために制作した背景画が四点展示されている。

以下はその内の二点で、他の二点も撮影可だったのだが撮影しなかった。

◆ 第三幕《ある午後の麦畑》
  1942年/テンペラ・綿布 914.4 x 1524.0 cm

第三幕《ある午後の麦畑》

◆ 第四幕《サンクトぺテルベルクの幻想》
  1942年/テンペラ・綿布 891.5 x 1472.5 cm

第四幕《サンクトぺテルベルクの幻想》

棟方志功展示室で撮影可の作品が一点あった。

◆ 花矢の柵(棟方志功 1961年/木版、彩色・紙 215.0 x 688.0 cm)
花矢を天の四方に放つというアイヌ民族の狩の儀式を題材にした作品。
1961年に竣工した青森県庁新庁舎の正面玄関を飾る壁画として制作された。現在、青森県庁正面玄関に設置されている作品はレプリカ。

花矢の柵。

そのほかの展示は全館すべて撮影不可。

青森県立美術館から一本道をのんびりと7、8分歩くと三内丸山遺跡入り口にたどり着く。美術館と縄文遺跡がこの距離というのが嬉しい。

三内丸山遺跡入り口(縄文時遊館)。

出土品などを展示している「縄文時遊館」を素通りして、今から5,900年から4,200年前の遺跡群へ。

三内丸山遺跡は、江戸時代から知られている遺跡。
1992(平成4)年に始まった発掘調査で、縄文時代前期~中期、今から約5,900~4,200年(紀元前約3,900~2,200年)前の大規模な集落跡が見つかった。

たくさんの竪穴建物跡や掘立柱建物跡、盛土、大人や子供の墓などのほか、多量の土器や石器、貴重な木製品、骨角製品などが出土している。

1997(平成9)年3月、国史跡に指定され、2000(平成12)年11月には特別史跡に、さらに2003(平成15)年5月には出土品1,958点が重要文化財に指定された。

再現された縄文のムラ。

遺跡群の配置(Google Earth)。

遺跡群の中に銀色に光るシェルターのような屋根が見える。発掘した遺構を風雨から守るために設置されたもので、内部はシッカリとエアコンが効いていた。

シェルターの一つ「南盛土」は竪穴建物や穴などを掘ったときの土と一緒に、大量の土器や石器、土偶やヒスイ製の玉が捨てられていた。約1,000年という長期にわたって棄てられ続けた結果、丘のようになった所で、発掘時の様子を見ることができる。

南盛土。

三内丸山では幅10メートル以上の大型竪穴式建物跡がいくつも出土している。
復元された「大型竪穴建物」はその中でも最大の建物で、長さ32メートル、幅10メートルある。内部を見学することができる。

大型竪穴建物(復元)。

復元された大型竪穴建物の内部に入ると、その広さと使われている柱の数の多さに驚かされる。

復元された大型竪穴建物の内部。

大型竪穴建物の直ぐ北側に建っているのが三内丸山遺跡のシンボルで、隣の「大型堀立柱建物跡」を元に、ここに六本の巨木で復元された「大型堀立柱建物」。

間近に見ると柱の大きさや高さに圧倒されるが、復元された形にも様々な異論があったようだ。この櫓の用途が何だったのかは不明。

大型堀立柱建物(復元)。

大型堀立柱建物の隣にある大きなシェルター内には大型堀立柱建物跡が保存されている。

シェルターに入ると足元に六つの大きな穴が開いている。穴は柱穴。
柱穴の間隔・幅・深さは、それぞれ4.2メートル・2メートル・2メートルで統一されているのは、当時の人々が高度な技術を持っていたことの証しだという。

特に4.2メートルというのは35センチメートルの倍数で、この35センチメートルの単位は他の遺跡でも確認されているそうだ。「縄文尺」とも言うべき長さの単位が広範囲にわたって共通規格として共有されていた可能性もあるという。

柱本体にも腐食を防ぐため周囲を焦がしてあったそうだ。さらに柱は2度ほど内側に傾けて立てられていたそうで、これは現代の内転(うちころび)と同じ技法だという。

大型堀立柱建物跡。

穴に残っていた直径約1メートルの栗の木(レプリカ)。

大型竪穴建物の東側に三棟の堀立柱建物が建っている。
東西約75メートル、南北約18メートルの範囲に掘立柱建物のものと推測される柱穴群が発掘され、ここに復元された。

この掘立柱建物の柱穴の周辺および内側には、生活の痕跡が確認できなかったそうで、この掘立柱建物は高床式建物であった可能性が高いと判断され、高床式建物として復元されている。

堀立柱建物(復元)。

堀立柱建物の内部(復元)。

堀立柱建物の南側に一群の竪穴建物が復元されている。
ここで暮らした人達はどのような言葉を使っていたのだろう、その言葉を日本語と言えるのだろうか。答がないだけに興味が尽きない。

竪穴建物群(復元)。

遺跡群を回った後「縄文時遊館」に戻る。
常設展示会場には遺跡からの出土品の展示や、人形を使った当時の生活の再現が展示されている。

一時間半ほど滞在した三内丸山遺跡から「ルートバスねぶたん号」で新青森駅に戻り、駅の東口にある「東横イン」にチェックイン。

さて夕食時間なのだが、ホテルの周囲に食事のできる店がない。ホテルで教えてもらった「たか久」までは徒歩で10分余り。

たか久。

酒は津軽の「じょっぱり」を冷やで。小鉢はインゲン豆と鶏肉の煮物。
明るいキャラクターの女将さんが紙コップに入ったポップコーンを持って『これはサービスだよ』といって、前の席に座って話しかけてきた。

今夜はここからスタート。

「じょっぱり」は好みの辛口。食事に頼んだ「厚切りロースカツ定食」、確かに肉は厚く、揚げすぎていないところが好い。

厚切りロースカツ定食。

揚げ加減も良い。

米飯の香りが好いので女将さんに伝えたら、青森県が推進している米の品種改良の結果生まれた新しいブランド米「青天の霹靂」だという。

青天の霹靂の垂れ幕。

明るく人懐こい女将さんに声をかけてホテルに戻る。

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