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  2019年8月:シェムリアップ
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ワット・プレア・エン・コサイミニチュア・アンコール・ワット → クーレンⅡ

【8月14日(水)薄曇り】ワット・プレア・アン・カウ・サー

ロイヤル・インデペンデンス・ガーデンからホテルに戻ると未だ7時半、空いてきたダイニングルーム "J All Day Dining" で朝食。

今朝の鶏クイティウ。

今日の朝食皿。

今朝の果物。

コーヒーはカンボジアのコーヒー。

10時半過ぎにホテルを出て国道6号線でシェムリアップ川を渡る。

シェムリアップ川を越えた6号線上の空。

シャムリアップ川に架かる橋を渡ってから、川沿いのリバー・ロードを北へ。

道路沿いの大きな青い看板はセント・ジョン・カトリック教会。

リバー・ロードのカトリック教会。

恐る恐る中を覗いて見たが誰も居ない。

誰もいなかったカトリック教会。

シェムリアップ川で胸まで浸かって漁をする人がいた。

シェムリアップ川で漁をする人。

リバー・ロードを1キロメートルほど歩くと、金ピカの寺院の門の前に出た。

ガイドブックの地図を見るとこの辺りと思われるところにワット・プレア・エン・コサイ(Preah En Kosai)とあるが、門の周辺に案内板もなく寺院の名前を確認できない。

門前の売店にいた地元の人に尋ねたのだが、言葉が通じなくて上手くコミュニケーションできない。それでも、ここがプレア・エン・コサイだと複数の人が肯いてくれた。

◆ ワット・プレア・アン・カウ・サー(Wat Preah An Kau Saa)。

この寺の正しい名前はこの後、昼食に入った食堂でワット・プレア・アン・カウ・サーだと教えられたが、それまではワット・プレア・エン・コサイだと思って見学していた。

西門。右側の売店で寺院名を聞いたのだが……。

門を入ると左手の木立の中に船底を彩色したボートが二艘腹を見せている。 ルアンパバーンでもボート・フェスティバルに使うボートを供えた寺院がたくさんあったが、このボートも何かの儀礼用なのだろう。

綺麗に塗られたボート。

ボートの奥には金ピカ塗装も新しい野ざらしの仏像。

野ざらしの金ピカ仏像。

奥に進むと端正な本堂の前に出る。

規模は小さいが端正な本堂、内部の見学は禁止だった。

お堂の裏側から左手に金属のお盆を持った僧侶達が出てきた。昼には少し早い時間だが、お盆の形から察するに托鉢に向かうのではなく昼食に向かうのだろう。

ランチに向かう僧侶達。

お堂の裏に回って石段に腰を下ろし一休みしていると、珍しいことに子猫が寄ってきた。

人懐こい猫。


足元にうずくまる子猫。

立ち上がっても子猫はついてくる風もなく木立の中にノソノソと立ち去っていった。

寺院裏に並んだ仏塔群。

コンクリート製の西洋風の棺のようなものが三基並んでいるが、白い小さな立て札は褪色して何も読み取れない。

三基並んだ西洋風の棺?

座像だけを収めたお堂も珍しい。

寺院内に手摺りに囲まれた池があるが、ヒンドゥー教なら聖池なのだが仏教寺院で池は珍しい。 僧侶達の沐浴場跡か?

沐浴場跡か?

寺院内をくまなく回ったがガイドブックの記事にある遺跡が見つからない。

境内を通りかかった大学生だという若者に尋ねると『ここからさらに十分ほど北にも寺があるが、そこではないか』と教えてくれた。彼はあいにくこの寺院の名前を知らないという。

入ってきた門(西門)からリバー・ロードに戻る。

寺院境内の北側にはプリヘンカオサ(Preahenkaosa)という中学校が併設されている。
校門の横にはオームチャイ通りの 10 MAKARA 1979 HIGH SCHOOL の校内にもあった制服姿の生徒のパネルが掲げてある。

どちらも服装に大きな違いが無いのは、このパネルが学校の制服を示しているわけではなさそうだ。服装からすると公立学校だと思われるが、このパネルはここが公立学校であることを表しているのかも知れない。

校門横に掲げられたパネル。

校門から覗いた校内。

プリヘンカオサ中学校の前をシェムリアップ川沿いにさらに北上する。

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