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  2019年8月:シェムリアップ
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オールド・マーケット → プレ・アンチェーワット・プレア・アン・カウ・サー
ワット・プレア・エン・コサイミニチュア・アンコール・ワット → クーレンⅡ

【8月14日(水)薄曇り】ミニチュア・アンコール・ワット → クーレンⅡ

シェムリアップ川沿いのリバー・ロードを戻りながら、茂みの影にトロ・クオン・クメール・レストラン(Tror Kuon Khmer Restaulant)の看板を見つけたので覗いたら客が誰もいない。

トロ・クオン・クメール・レストランの入り口。

出てきたスタッフに訊くと Jaya House というホテルのダイニング・ルームだがランチあるというので入ってみた。

トロクオン・クメール・レストランの内部。

席に着いてフィッシュ・アモックを注文、US$8(¥880)。
米飯の上にドライカレーのようにかけたフィッシュ・アモックは極めて上品、もちろん不味いわけが無い。見た目も「クメール・テイスト」のフィッシュ・アモックとは大分違う。

フィッシュ・アモック。

コーヒーUS$3(¥330)を頼むついでに二つのワット・プレア・エン・コサイのことを訊ねると、それぞれの寺院の名前をユックリ発音してくれたが、直ぐにはその違いを聞き取れない。

フィッシュ・アモックの後の濃いめのコーヒー。

最初の寺院がワット・プレア・アン・カウ・サー(Wat Preah An Kau Saa)で、古い仏塔がある寺院はワット・プレア・エン・コサイ(Wat Preah En Kosai)だと丁寧に教えてくれたが、耳で聞くとその差が分かりにくい。

寺の名前を教えてもらいながら、他に客がいなかったこともあって、ゆっくり過ごしたトロ・クオン・クメール・レストランを出る。

シェムリアップ川とリバー・ロードの間の小公園にジーパンが並んでいるので、近づいたらジーパンを流用した植木鉢だった。

ジーパンの植木鉢。

トロ・クオン・クメール・レストランからそう遠くないところに「ミニチュア・アンコール・ワット」があるはずと心許ない地図を見ながら、シェムリアップ川の東岸をウロウロする。

客待ちをしているトゥクトゥクのドライヴァー氏に訪ねると、トゥクトゥクに乗れと勧めてきた。

地図を見ながらこの近くあるはずだと返すと、しぶしぶ教えてくれたのはセント・ジョン・カトリック教会の角を左に曲がったところだった。入園料 US$ 2.00(¥220)。

ミニチュア・アンコール・ワット。

入り口で声を掛けると中からミニチュア・アンコール・ワットを造ったというご本人が出てきた。自らシアヌーク王二世(King Sihanouk II)83歳だと名乗って園内を案内してくれた。

彼が『写真を撮るならここで……』と立ったのは自身の経歴を記したパネルの前だった。パネルには「DY Proeung Biography」とある。彼の本名はDY プローンさんだった。

プローンさんと彼の経歴書。

DY Proeung Biography

DY Proeung is one of the few surviving old masters from the Khmer Rouge regime, when, between 1975 and 1979 up to ninety percent of Cambodian artists lost their lives. Now, at the age of seventy-five, DY Proeung is an important figurehead in Cambodia's cultural legacy.

Born in Phnom Penh, DY Proeung studied Architecture at the Royal University of Fine Arts where he graduated in 1960. He went on to work for the Angkor Conservation and École Française d'Extrême-Orient (EFEO). It was during this time he drew architectural floor plans and elevations for Angkor Wat, Ta Keo, Bayon and Banteay Srey Temples.

During the Khmer Rouge regime he lived and worked as a farmer in Rolous where he still lives today. In 1979 he became the commune chief for Slor Khram commune and started to draw architectural plans for Banteay Srey Temple, in 1982 he retired as commune chief in order to concentrate on these drawings. Between 1988 and 1994 he painstakingly reproduced miniature sculptures of Angkor Wat, Bayon, Ta Keo and Banteay Srey Temples.

In 1993-94, during the UNTAC period (United Nations Transitional Authority in Cambodia), a British soldier met DY Proeung and introduced his work to King Sihanouk which led to DY Proeung making a gift of his Angkor Wat miniature for the King's birthday. At this time DY Proeung was also given the Pisnuka award from the Ministry of Culture and Fine Arts in recognition of his achievements.

For the past seventeen years DY Proeung has focused on creating his intricate sculptures and also teaching a new generation of young Cambodian artists at his Sihanouk Reach Art and Craft School in OIOUS. King Sihanouk personally requested DY Proeung to pass on his knowledge to the younger generation and also to create a book of his work.

パネルの大意は次の通り。

DY プローンは、1975年から1979年の間にカンボジアの芸術家の90%が命を失ったクメール・ルージュ政権からの数少ない生き残りの老匠の一人である。現在、75歳のDYプローンはカンボジアの文化遺産の一人だと言える。

プノンペンで生まれたDYプローンは王立芸術大学で建築を学び1960年に卒業した。彼はアンコール遺跡の
保護とフランス国立極東学院(EFEO)で勤務する。この間、彼はアンコール・ワット、タ・ケオ、バイヨンバンテアイ・スレイ寺院の建築平面図と立面図を描いている。

クメール・ルージュ政権時代、彼は今も住んでいるロリュオスで農夫のようにして暮らしていた。 1979年にスロア・クラム・コミューンの主任になり、バンテアイ・スレイ寺院の建築平面図を描き始め、1982年には作図に集中するために主任を退任する。1988年から1994年の間、アンコール・ワット、バイヨン、タ・ケオ、バンテアイ・スレイ寺院を精巧なミニチュアで再現した。

1993年から94年、UNTAC(国連カンボジア暫定機構)の為政下、DY プローンに会ったイギリスの兵士が、DY プローンがアンコール・ワットのミニチュアをシアヌーク王の誕生日のプレゼントにするきっかけとなった、彼の作品をシアヌーク国王に紹介した。この時点で、DY プローンはその功績が認められ、文化芸術省からピスヌカ賞を授与された。

過去17年間、DY プローンは彼の複雑な彫刻の制作に集中し、OIOUSにあるシアヌーク・リーチ・アート・アンド・クラフト・スクールで、カンボジアの若いアーティスト達を指導することにも力を注いだ。シアヌーク国王は個人的にDY プローンに彼の知識を若い世代に伝え、彼の作品集を出版するよう要請している。

プローンさんが自宅の庭に造ったミニチュアの遺跡はアンコール・ワット、バンテアイ・スレイ、バイヨンで、経歴書でも触れている寺院の図面も無造作に置いてあった。

アンコール・ワット。

アンコール・ワット。

バンテアイ・スレイ(一部)。

バイヨン。

バイヨン。

ミニチュア遺跡にいる間、他に観光客は無し。

これだけのモノを作り上げるのが如何に困難だったか、語り尽くせないという風情のプローンさん、話しが止まらない。
申し訳ないが『まだ先の予定があるので……』と断ってミニチュア・アンコール・ワットを後にした。

T Galleria に寄ってリキュールの小瓶を二本買い足してホテルに戻る。
今日のコースは徒歩圏とみてズッと歩きだったが、そのお陰で背中が汗でビショリ。

ホテルに戻ってバスタブに湯を張ってリラックス。

夕食を兼ねて昨日ホテルで予約してもらったシヴォタ通りにあるアプサラ・ダンスのクーレンⅡへ。

クーレンⅡ全景。


クーレンⅡのサイン。

入り口の二頭の象像。

トゥクトゥクや観光バスで次々集まってきた人。

場内は恐ろしく広い。
その一角にカンボジアの素朴な料理が並んでいる。食事はビュッフェ・スタイル、一目で料理に期待してはいけないことが分かる。

指定されていた席はステージに近い前の方で、ダンスを鑑賞するには好い席だ。
ショーが始まる19:30までに広い会場の席は満席になってしまった。

奥の一角に料理が並んでいる。

指定された席からのステージ。

今日の夕食は一皿一丼、味についてはコメント不要だろう、今夜は舞踊鑑賞がメインだ。

見た目はホテルの朝食似。

薄味伸麺。

アプサラ・ダンスとは「天女の舞」と言われているカンボジアの伝統舞踊で、その歴史は古く、九世紀ごろにインド文化に起源をもつ宮廷舞踊として生まれた踊り。

アプサラ・ダンスを踊る踊り子の姿はアンコール・ワットの壁にもレリーフとして多数描かれている。

踊り子達は王室古典舞踊学院で養成され、長く宮廷文化として伝承されてきたが、カンボジア内戦の際にポル・ポト政権による知識人の大虐殺に巻き込まれ、多数の指導者や踊り子たちが命を落としている。

伝統を引き継ぐ関係者を失ったため、一時アプサラ・ダンスの伝統は途絶えたかに見えた。しかし、わずかに生き残った指導者や踊り子たちの手によって、1989年にその伝統の継承を再開する運動が起こり、アプサラ・ダンスは復活し、現在に到っている。

開演と同時にクメールの伝統音楽が披露される。

演奏はバリやベトナムの音に似ている。

彼らは踊りの伴奏音楽も担当していて、この後、舞台の下手に下がって袖の陰で演奏していた。

クーレンⅡで上演されるクメールの伝統的なダンスを纏めてアプサラ・ダンスと言っているようだ。この日の演目は次のとおり。

● ココナツ・ダンス
男女がココナツの殻を打ち鳴らして踊る。
カンボジア南東部発祥の踊りで結婚式の時などに踊られる。

ココナツ・ダンス。

● 演目不明
女性が二人で踊るコミカルな踊り。
衣装からすると農村人と宮廷人の間に起こる物語のようだ。

演目不明。

● フィッシャーマンズ・ダンス
男女が竹製の漁具を持って踊る。
恋の駆け引きをコミカルに描いたカンボジア古来の民族舞踊。

フィッシャーマンズ・ダンス。

● メカラ・ダンス
雷を起こそうとする悪魔を、水の神メカラがクリスタルの光線を使って退治するという勧善懲悪物語。

メカラ・ダンス(水の女神)。

メカラ・ダンス(悪魔と水の女神)。

● アプサラ・ダンス
これが「天女の舞」アプサラ・ダンスで神に捧げられる特別の踊り。
ショーの始めは上下とも白い衣装を着た踊り手のソロのダンスで、彼女をホワイト・アプサラ(ホワイト・アスパラみたいだが)と呼び、女性ダンサーが目指す目標でもあり憧れでもあるという。

ホワイト・アプサラ。

名前を知らないが著名なダンサーのようだ。

アプサラ・ダンスは最終的にはホワイト・アプサラを中心に七名の踊り手によって踊られる。

ホワイト・アプサラを中央に踊られるアプサラ・ダンス。

ショーが終わると観客リストを持ったスタッフが座席まで集金にやって来た。US$ 12(¥1,320)。

会場を出ると20:30を回っている。
照明に照らされて妖しく光るクーレンⅡの看板を後にホテルに戻る。

夜になりライトに照らされたクーレンⅡの看板。

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