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  2011年8月:ハノイ
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市劇場歴史博物館トンホップ大学クアンアン・ゴン

【8月12日(金)】トンホップ大学

ガイドブックの地図を見ると歴史博物館の先にトンホップ大学とある。どんな大学なのだろう近くなので行って見よう。

心許ないガイドブックの地図を頼りにレタイントン(Le Thanh Tong)通りを進む。途中でお茶をしている白衣の女性達に、トンホップ大学へはこの道で好いのか聞いてみた。この直ぐ先だと教えてくれた。緑濃い中に白衣の一団が綺麗だったので写真を撮らせてもらった。

道端のカフェで一息入れる白衣の天使達。

『私達もこれからその大学に行くので一緒に行きませんか?』

彼女たちはこの大学の学生なのかと思い、白いアオザイは学校の制服なのか訪ねてみると、そうではないという返事。白いアオザイは特別な日や自分を引き立てたいときに身につけるらしい。日本の振り袖のようなものか。

レタイントン通りに面したトンホップ大学。

この黄色い建物、先程の歴史博物館を設計したと同じフランス人建築家エルネスト・エブラールの手によって1926年に設計された建物、どおりで雰囲気が似ている。

建物正面上の方に "DAI HOC TÔNG HOP HÀ NÔI" とある。英文にすると "UNIVERSITY OF HANOI" になるようだが「ハノイ大学」が正しい呼び方なのか? 日本語の「トンホップ大学」って「大学大学」みたいなことになる。
どうやら「ベトナム国立大学ハノイ校」あるいは単に「ハノイ大学」が正式な名称らしい。ベトナム三大国立大学の一つで、その前身はフランスが官吏を養成するために創設したベトナム人のエリート養成学校「インドシナ大学」だそうだ。

"DAI HOC TÔNG HOP HÀ NÔI" のレリーフ。

彼女たちと一緒に建物の左端にある通用門から一緒に学内に入る。庭ではバドミントンのネットを張る準備をしていた。

車寄せがある裏側が正面にも見える。

エントランスホールに入る。この学校を象徴する場所だと彼女達が教えてくれた。

シャンデリアが下がるエントランスホール。

エントランスホール入り口のガラスドア中央には"I"と"U"を組み合わせた丸いマークがついているが、「Indochina University」時代の名残だ。

レタイントン通りに面したガラスドア。

ホールの片隅で長い髪の毛を束ねた太目の男性が彼女達の一人をつかまえてメーキャップを始めた。彼の手元にはメーキャップ用具が一式。彼はメーキャッパーらしい。彼女達は説明してくれなかったが、これからここで写真撮影をするようだ。

メーキャップの順番を待つ学生達。

既にエントランスホールに来ていた一人を加えた6人の学生達から矢継ぎ早に出される日本に対する質問に答えながら一人一人の写真を撮らせてもらった。

彼女達の興味は何故か相撲レスラー。彼らは金持ちなのか、レスラーを辞めたらどんな生活があるのかなどなど。人気のある職業は、人気のある男性タレントは、一ヶ月の生活費・部屋代に食べ物は、地震後の今は…。
彼女達の日本に対する好奇心は旺盛だ。よく聞いてみると彼女達の内の二人が今年9月に交換学生として福岡に行くことになっているのだそうだ。

Nguyễn Xuân Quỳnh さんと Anh Mai Hoang さん。

Dory Nga さんと Lê Vân さん。

Zudj Jee さん。

お茶目な天使達。

左からZudj Jeeさん、Nguyễn Xuân Quỳnhさん、Lê Vânさん、メーキャッパーくん、Thanh Haさん(ポートレートを撮り損なってしまった)、Dory Ngaさん、Anh Mai Hoangさん。

並んだ純白のアオザイが眩しい。

やがて大きなカメラバッグを抱えてカメラマン氏がやってきた。昼食もとらずに彼女達につき合って気づいたら2時を過ぎていた。名残惜しいが彼女達におサヨナラして大学を後にした。

帰国してから分かったことだが彼女達は現役の大学生ではなく、写真のモデルをしている人達だった。中にはこの大学の卒業生もいるようだが、彼女達の余りの打ち解けた仲の好さに、てっきりこの大学の学生だと思い込んでしまった

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