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  2018年10月:マカオ
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モリソン礼拝堂ピノチオ

【10月22日(月)晴】モリソン礼拝堂

西北大学芸術学院(中国西安)で教鞭を執りながら、中国語活字史を研究している孫明遠さんが『マカオに行くならロバート・モリソンとサミュエル・ダイアのお墓にお参りしてくるといいよ』と勧めてくれた。

孫さんはただ『外国人墓地のような所にあるよ』と教えてくれただけで、誠に漠とした大陸的な情報だ。マカオはさして広い所でもなし、何とかなるだろうと、こちらも軽い気持ちでコタイのホテルを後に、とりあえずシティー・オブ・ドリームズのシャトルバス(無料)を利用してマカオ半島に向かう。

同好の士は新海くんと三澤さん。

シティー・オブ・ドリームの地下シャトルバス乗り場。

ロバート・モリソン(Robert Morrison, 馬礼遜, 1782 – 1834)はイギリスのロンドン伝道協会の宣教師で、中国に渡った最初のプロテスタントの宣教師。イギリス東インド会社の通訳官となったモリソンは、世界初の英-中・中-英の『中国語字典』をマカオで刊行している。1834年、東インド会社の一員として広州へ赴いたが、そこで病死しマカオに葬られた。中国語訳聖書を最初に出版した人としても知られている。

サミュエル・ダイア(Samuel Dyer, 台約爾, 1804 – 1843)は英国プロテスタント・クリスチャン協会の宣教師で、中国人社会で活動した人。 それまでの漢字の木活字に代わる評価の高い金属活字を作ったことても知られている。1843年、広州を訪れた際に重篤な病に倒れマカオに連れ戻され、ここで亡くなった。

グランドエンペラー・ホテルの前でシャトル・バスを降り、それと思しき墓地のあるルイス・カモンエス公園を目指して歩き出す。

グランド・リスボア・ホテル(左)と中国銀行(右)。

澳門商業大馬路から南湾大馬路に出る。

澳門商業大馬路。

南湾大馬路から亜美打利庇廬大馬路に入るとマカオ郵便局の前に出た。

マカオ郵便局。

龍嵩正街。

そしてセナド廣場

セナド廣場。

亜美打利庇廬大馬路から大街に入ると道は直ぐに上りにかかり、以後ズッと上り坂が続く。

大街の工事現場は今や珍しい竹の足場。

大街には薬屋数多くが並んでいる。

大街の横町の一つ吉慶巷。

大街が急に細くなり、名前が關前後街と変わるりさらに細い路地、長樓斜巷に入る。

この長樓斜巷の突き当たりで急な石段を登る。

石段を登り切ると花王堂街の坂道に出た。

花王堂街(上り方向)。

花王堂街の下り坂が急に上りになってきた。

花王堂街(下り方向)。

聖アントニオ教会の壁伝いに坂道を右に回り込む。

右が聖アントニオ教会の壁。

バス停の向こうにルイス・カモンエス公園の入り口が見える。その右に 「FUNDAÇǍO ORIENTE 東方基金會」と掲げたサーモン・ピンク色をした可愛い門が見えるが、門は閉まっている。

東方基金會のサーモン・ピンク色の門。

『探している墓地がこの門の中だとすると、今日は見つけられないな』

「東方基金會」の門のさらに右に小さな黒い門がヒソリと開いる。
その門の上に "PROTESTANT CHAPEL AND OLD CEMETARY [EAST INDIA COMPANY 1814]" と彫られている。

門柱に貼られたステンレス板には「聖公會馬禮遜堂 Morrison Chapel」と刻まれている。この門の奥にモリソン教会と墓地があるようだ。ステンレス板には「8時30分から17時30分まで公開」ともあるので、この小さな門をくぐる。

門を入ると直ぐ目の前に何とも可愛らしい白く塗られた小さな礼拝堂が建っている。なるほど、これがロバート・モリソンを記念した礼拝堂か。

モリソン礼拝堂。

礼拝堂の入り口は鍵が掛かっているようで、扉の把手を回しても開かない。ガチャガチャ把手を回す音が聞こえたのか、礼拝堂の裏の方で犬が吠え始めた。

周囲を見回すと、門の内側の壁に掲げられた掲示板に「毎日曜日午前9時から聖餐式が行われる」とあった。 礼拝堂の裏に、一段低くなった墓地があった。

東側の芝に覆われた墓地。

墓地の東半分は少し伸び過ぎた芝が一面を覆っている。西側は石畳。東西合わせて150基ほどの墓碑や石棺が並んでいるだろうか、他に訪う人の姿もなくヒソリとしている。先ほどからの犬の吠え声は無視して礼拝堂の横手に設けられている広くてゆるい石段を降りる。

西側の石畳の墓地に立つ新海くん。

見落としてはいけないので、西側の墓地から一基一基の墓碑を見て行くが、"Robert" と彫られた墓碑も石棺も見つからない。

石畳を見通すと西側の一番奥に門扉ほどの大きさの、作りも立派な墓碑がある。この墓地で一番大きな墓碑のようだ。はやる気持ちを抑えて墓碑を読むと、そこに彫られている名前は "GEORGE CHINNERY"、別人だった。

"GEORGE CHINNERY"の墓碑。

"GEORGE CHINNERY"の墓碑。

調べてみると GEORGE CHINNERY (1774 - 1852) はイギリス生まれの画家で、その人生の大半をインドや中国南部で過ごし、特に没するまでの25年間はマカオを拠点に活動したらしい。

ここから芝に覆われた東側の墓地に下りる。
期待を裏切られつつも諦めずに一基ずつ墓碑に刻まれた名前の中に "Robert" を探す。

墓地の西端は船乗り達の石棺が並んでいた。

判読すらできないくらいに薄れた文字もある墓碑は、とうとう墓地右奥の一角に並ぶ最後の数基のみになってしまった。

その中に見つかったのは案に相違してサミュエル・ダイアの名前だった。

サミュエル・ダイアの石棺。

ダイアの石棺の側に幅30センチメートル、高さ40センチメートルほどのステンレス製の立て札が立っている。

サミュエル・ダイアの石棺。

上段には中国語で、下段には英語で次のように記されていた。

追 念
台約爾牧師
馬亜的父親
戴徳生的岳父
「他們雖至於死、也不愛惜生命。」
啟示録十二章11節
「任何使我無法為中國捨身的意念、都會令我極其沮喪。」
台約爾
戴徳生子孫敬立
二〇〇六年

IN REMEMBERANCE OF
Sumuel Dyer
Father of Maria Dyer Tayler
Father-in-law of J. Hudson Tayler
"They did not love their lives so much as to shrink from death"
Revelation 12:11
"If I thought anything could prevent my dying for China, the thought would crsh me"
Sumuel Dyer
BY THE DESCENDANTS OF J. HUDSON TYLER
-- 2006 --

そして石棺の蓋に "SAMUEL DYER" と刻まれているのが読める。

SAMUEL DYER と刻まれた石棺の蓋。

石棺の蓋に刻まれた前文は以下の通り。

SACRED TO THE MEMORY
OF
THE REV SAMUEL DYER
Protestant Missionary to the Chinese,
Who for 16 years devoted all his energies
to the advancement of the Gospel
among the emigrants from China
settled in Pinang Malacca and Singapore.
As a Man, he was amiable & affectionate,
As a Christian, upright, sincere, & humble-minded,
As a Missionary, devoted zealous, & indefatigable.
He spared neither time, nor labour nor property,
in his efforts to do good to his fellowmen.
He died in the confident belief of that truth
which for so many years he affectionately & faithfully
preached to the Heathen.
He was born 20 February 1804,
Sent to the East by the London Missionary Society in 1827
And died at Macao, 24 October. 1843.
---…---
For if we believe that Jesus died and rose again,
even so them also which sleep in Jesus
will God bring with him.

最後に見た石棺の蓋に “ROBERT MORRISON” と刻まれていた。
モリソンとダイアはこの一角に並ぶようにして眠っていた。

ロバート・モリソンの石棺。

石棺の蓋に大きく "ROBERT MORRISON" の文字が刻まれている。

ROBERT MORRISONと刻まれた石棺の蓋。

ロバート・モリソンの石棺の蓋に刻まれた碑文の前文は以下の通り。

SACRED
TO
THE MEMORY
OF
ROBERT MORRISON DD.,
The first Protestant Missionary to
CHINA,
Where after a service of twenty-seven years,
cheerfully spent in extending the kingdom of the blessed Redeemer
during which period he compiled and published
A DICTIONARY OF THE CHINESE LANGUAGE,
founded the Anglo Chinese College at Malacca
and for several years laboured alone on a Chinese version of
THE HOLY SCRIPTURES,
which he was spared to see completed and widely circulated
among those for whom it was destined,
he sweetly slept in Jesus.
He was born at Morpeth in Northumberland
January 5 1782
Was sent to China by the London Missionary Society in 1807
Was for twenty five years Chinese translator in the employ of
The East India Company
and died in Canton August 1st 1834.
---…---
Blessed are the dead which die in the Lord from henceforth
Yea saith the Spirit
that they may rest from their labours,
and their works do follow them.

モリソンとダイアの墓に一緒に出会えて、今回のマカオ訪問の最大の目的が果たせた。

ダイアは左端、モリソンは右列の一番奥、白い石碑の前。

モリソン礼拝堂ピノチオ
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