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  2012年6月:吉野山
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さこや水分神社金峯神社平宗万葉文化館

【6月25日(月)】金峯神社(きんぷじんじゃ)

水分神社からさらに細い山道を登る。だいぶ登ってきた。木々の切れ間から見える山の尾根伝いに家々の屋根が並んでいる。その先に見えるのは金峰山寺本堂蔵王堂だろう。

尾根伝いに並ぶ家々の屋根。

尾根上の街並みの先に見えるのは金峰山寺の本堂か。

たどり着いたところは吉野山の奥の奥、青根ヶ峰の側にある金峯神社。境内は2004年にユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。

鳥居と拝殿までの参道。

鳥居の横に建つ吉野町が設置した説明板を見てみよう。

金峯神社と隠れ塔
この神社は金山彦命を祭る吉野山の総地主の神で、一名金精明神ともいって古くから信仰を受けてきた延喜式内社です。
金峯というのは、この辺りから大峯山へかけての総称で、古来地下に黄金の鉱脈があると信ぜられて、宇治拾遺物語その他にも、この山に登って黄金を得たという話があります。これは仏教説話として、金峯山は黄金浄土であるという観念からうまれたものです。
左の小道を下がった所にある建物は、隠れ塔といって、ここは大峯修行場の一つで、この塔に入って扉をとじると中は真っ暗になります。そこで神官の先導に従って
口口吉野なる深山の奥の隠れ塔
口口本来空のすみかなり
と唱えながら境内を巡ります。
文治元年(1185)十一月 源義経がこの塔に隠れ、追っ手から逃れるため屋根を蹴破って外へ出たため、「義経の隠れ塔、蹴抜けの塔」ともいわれています。

創建された時期や経緯などは不明、「栄花物語」に藤原道長が詣でたことが記されているという。
「栄花物語」は作者不詳の歴史物語で貞観9(867)年から寛治6(1092)年までの約200年間の時代を扱っている。

拝殿の奥にさらに本殿までの石段があったが立ち入り不可だった。

鳥居の左手に小径が見えている。下りて行くと太い杉の木の奧に簡素な塔が見える。

鳥居横にある細い道を下りる。

杉木立の中に宝形造・檜皮葺きの簡素な塔が建っている。追っ手に囲まれた源義経が屋根を蹴破って逃げたといわれ「蹴抜の塔」とも呼ばれる「義経の隠れ塔」だ。

義経の隠れ塔。

本来は修行のための塔で、この塔に入って『吉野なる深山の奥のかくれ塔……』と唱えるのだそうだが、義経が隠れたから「隠れ塔」なのか、その前から目立たない場所に建つので「隠れ塔」と呼ばれていたのかは何処にも説明がなかった。

塔に入って唱えるという文言が掲示してあった。

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